掟その1 家事当番はサボらずにやるべし





五月晴れの気持ちの良い朝。
鳥の囀りが聞こえ、少し前なら布団から抜け出るのが億劫だったはずなのに素直に起きれた。
窓を開けると心地よい空気が入り込む。
風が部屋の中を穏やかに流れ、ユーリの黒髪を柔らかく揺らしそれを手で押さえて素直に風を受けた。
大きく伸びをして深呼吸をすると体中に新鮮な空気が入り込み眠気がとれた気がした。
こんな天気の良い日、しかも折角の休日だ。どっかに遊びに行きたい。
だが、仕方ない。
これでまた遊び回ろう物なら、間違いなく親友のフレンからお叱りがやってくる。
そういえば、今日は自分が食事当番だったっけ?
おっさんが今日はいないはずだ。
そう思い、着ていた寝間着を脱ぎベットに放り投げ、そこらにあった服を適当に着込むと部屋を出た。
自室の戸を開けると目の前の部屋から同時にフレンが出て来た。
朝からバッタリは珍しい事ではないが、ここまで同時は珍しい。

「おはよう、ユーリ」

にっこり笑って言うフレンにニヤッと笑って「おう」と答える。
日曜だと言うのに生徒会役員のフレンは何時も早起きだ。
しかし、どんなに生徒会の仕事があってもこんな早くには起きないはず。
ならなんでフレンがこの時間に出てくるんだ?
ユーリの考えている事などお見通しと言わんとするかのように、『今日の掃除・洗濯当番は僕だからね』とあっさり疑問に答えた。
なるほど。
納得すると、部屋の戸を閉じ二人並んで階段を下りた。

ここの下宿は、私立St.ヴェスペリア学園教諭レイヴンが管理人を務める一種の寮みたいなものだ。
身寄りの無い、もしくはちょっとした事情のある子供達が預けられている。
レイヴンが保証人になりアルバイトで払える位のお金で学校に通わせたり、寮に住まわせたりとか色々。
おっさん曰く。
『おっさんだって色々頑張ってるのよっ!!』
らしいが、確かに実際ユーリとフレンの学校行きを可能にしたのはレイヴンだ。
そのおっさんが下宿や学校行きの交換条件として出したのが『家事』だった。
本人は教育の一環だと言っているが多分、自分がしたくないだけだろとユーリは考えている。
だからきっかり当番制になっており、ユーリとカロルが『食事当番と買出し』フレンとエステルが『掃除・洗濯』、レイヴンとパティは『家事手伝い』と決まっていた。
そして本日の当番は、ユーリが『食事当番と買出し』、フレンが『掃除・洗濯』である。

階段を降りるとフレンがリビングを抜け、縁側からサンダルを履き箒を持つと玄関の掃除に向かった。
それを見届けつつ腰にギャルソンエプロンを巻きつけ髪を一本に結い上げると、キッチンに向かう。
何時もの様に冷蔵庫を覗き込み材料を物色する。
パンに卵にチーズに…。

「…サンドウィッチなら出来そうだな。後は、葉っぱがあるからサラダと、あー、オレンジもあるか…」

材料をシンクの上に並べ、まな板を軽く洗い、流しを空けそこにボールを置くと水を溜めて野菜類を中に放り込む。
手際よく材料を切り、朝食の準備を着々と進めていると掃除の終わったフレンが縁側から中へ戻ってきた。
すぐに掃除機を動かす音がする。多分リビングの掃除を始めたんだろう。
掃除機の音が切れたかと思うとフレンがひょっとキッチンに顔を覗かせた。

「ねぇ、ユーリ」
「んー?」
「今から洗濯するんだけど、なんか洗い物ある?」
「んー、今はないな」
「ホントに?それならシーツとかタオルとかは?もしあるなら僕が取りに行くけど」
「えっ?い、今はいいっ。シーツもタオルもまだあるからっ」

つい戸惑ってしまい、後から後悔してももう遅い。
今ユーリの部屋は正直、汚い。
あっちこっちに服は散乱しており、鞄はそこらに投げてるだけ。
机の上はすでに物置状態。
そんな部屋をフレンに見せたら何を言われるか…。
笑みが引き攣りそうになるのを必死に堪えフレンを誤魔化そうと頑張るが…。

「…ユーリ、『部屋』片付けてる?」

あっさりバレた。
長年の付き合いはこうゆう時損である。

「ユーリ…?」

ジト目でユーリを睨みつける。
ここは、話を逸らすに限るっ!!

「あーあー、ほらっ。フレン、そろそろカロル達が起きてくるだろ?飯作りに集中させろって」

フレンの背中をぐいぐいと押し、キッチンを抜けリビングから追い出した。
渋々洗濯籠を持って階段を上がって行く。
その後ろ姿を見守り、ユーリはホッと一息つき料理に専念した…のも束の間。
物凄い勢いでフレンが駆け下りてきてキッチンに飛び込んだ。
その表情は『怒り』そのもの。
もしかして…もしかすると?

「ユーリっ!!あの部屋は何だっ!?」
「やっぱり見たのかよ…。ったく、人の部屋に勝手に入るなっての」
「それは、悪いと思うけど…。でも、あれはないよっ!足の踏み場もないじゃないかっ!」
「失礼な事を言うなっ。ちゃんと歩けるようになってただろ」
「雑誌の上を歩く場所とは言わないっ!」
「いいだろうが、別に。お前の部屋じゃないんだ」

フレンが怒っているのにも関らずアッサリと聞き流してしまう。
その態度がまたフレンの苛立ちを誘ったが、これでいつも喧嘩が起こるのだ。
こんな朝っぱらから喧嘩はしたくない。
妥協はするが、やっぱり何か許せなくてフレンの口からつい愚痴が出た。

「やっぱり、ユーリと同室になれば良かった」
「はぁ?お前、俺といるのが嫌で一つずつ部屋を借りようって言ったんだろうが」

打てば響く。
小さな呟きでさえ聞こえたのか。
だが、そんな事より今耳を疑うような言葉が帰ってきて、フレンの思考が一瞬停止した。
それもそのはず。
幼い頃からずっと、ずっと好きだったユーリが自分に嫌われていると思っていたから。
軽く…いや、大分ショックだ。

「ちょ、ちょっと待ってっ」
「何だよ」
「僕はユーリと一緒にいるのが嫌だなんて一言も言ってないっ」

必死で弁解するが、疑っているユーリには真っ直ぐ届かない。
それでも、誤解を解くため言葉を繋げる。

「言ってなくても、態度でわかる。俺をいっつも避けてたじゃねぇか」
「違うっ。それは違うっ。だって僕はユーリの事が好きなんだからっ」

その言葉に今度はユーリが固まった。
危うく手に持っていた包丁を落としそうになる位に。

「…僕はずっとユーリの事が好きなんだ。嫌になるわけないだろ」

言われた事を理解しようと必死に頭を回転させるが全然回ってくれない。
それ所か…。

「大好きだよ。ユーリ」

追い討ちをかけられて…。
手に持っていた包丁を取り上げられると、それをそっとシンクに置きユーリの体を抱き寄せた。
未だにきょとんとして素直にフレンの腕の中にいるユーリが堪らなく可愛い。

「ユーリ…」

はっとした時には遅かった。
フレンの顔が目前に迫って来たかと思えば、唇に何かが触れている。
―――キス、されてる…?
その事実に驚いて目を見開いた。
しかしユーリが驚いて抵抗しないのをこれ幸いとフレンは、ユーリの腰に腕を回し更に自分へとより密着させ更に逃げられないように、と後頭部を手で押さえ口付けを深くした。

気持ちいい…。
―――――これ以上は駄目だ。

可愛い…。
――――――これ以上進んだら止められなくなる。

ユーリが欲しい…。
――――――――…でも…もっと欲しいっ…。

衝動のままにフレンはユーリを求めた。

「…んっ…っ!?」

フレンの舌がユーリの口の中に進入してきて、正直ユーリは焦り始めた。
フレンの『好き』がこういう意味の『好き』とは思わなかったから…。
兎にも角にもフレンを引き剥がさなければ…。
我に帰ったユーリがフレンの胸をドンドンと叩いた。
けれどフレンは微動だにしない。
歴然とした力の差がユーリを苛立たせる。
その怒りから出される渾身の力を拳に込めフレンを殴ろうとした。…だが。

「おっ、と。流石に君に本気で殴られるのはごめんだな」

ぱっと体を離されて距離をとられてユーリの拳は空をきった。

「てめぇっ、大人しく殴られろっ!!」
「冗談。君に殴られたら青痣ですまないだろ」

にこにこ笑っている。
ユーリにしてみれば突然の事でも、フレンにしてみれば今まで恋焦がれていたユーリにキスする事が出来たのだ。
つい喜びが顔に出てしまっても仕方ない。
しかし…今のユーリはちょっと危険だと判断したフレンはニッコリ誰もが見惚れる笑みを浮かべた。

「それじゃユーリ。君の部屋、僕が掃除するからね」

スキップしそうな勢いで出て行ったフレンを見送り、どうしようもないイライラ感を目の前にある野菜にぶつけユーリは朝食を用意するのだった。