掟その8 一人は皆の為に、皆は一人の為に
■ 後編 ■
結果から言おう。
囮捜査は成功した。寧ろ成功し過ぎた。
ユーリとフレンはジュディスに強制的に命じられた、街へ行く為に乗った各駅停車の電車にて、それこそ各駅に一回は降りる頻度で痴漢を捕まえたのだった。お陰で。
「……一体、どんだけいるんだよ」
「…だね」
「オレは男だっつーの」
男としてのプライドはボロボロだった。
いくらジュディスの化粧の腕がプロ級だったとしても、これはない。
因みに検挙率はフレン80%、ユーリ20%である。
なのに、何故ユーリの方がより落ち込んでいるか。
それは…。
「う……」
再び街へ向かう為に電車に乗っていた二人。
そして、ユーリの尻に触れる明らかにごつい男の手。
(またかよ…)
内心鳥肌モンをぐっと堪え、その手を掴みあげようとすると。
「ちょっと、すみません。その手離して貰ってもいいですか」
ユーリが痴漢されているのに気付き、すぐさま手を掴みあげ、捻り上げるフレンがいるからである。
用意していた紐で手を縛り上げ、次の駅でドアが開くと同時に外で何故か待機しているレイヴンにパス。
その時のフレンの表情が氷の頬笑みだったのは敢えて触れずに置く。
「何時になったら、クレープ食えるんだ?」
「さぁ?大体ユーリは男を引っ掛け過ぎだよ」
「うるせーなっ。お前だって引っ掛けてただろ」
「二人だけだけどね」
「うぅぅ…」
「ま、仕方ないよ。ユーリは可愛いから」
「あっはっは。フレイ。後で覚えとけよ」
「勿論。君の可愛い姿を忘れたりしないよっ」
「そこは、忘れとけよっ!」
電車に揺られ、今度こそ辿り着いた目的地。
駅を抜けた瞬間、HP、所謂体力は0に近かった。
「…帰りもあれに乗るのか?」
「ジュディスから連絡が来ない限りはそうなんじゃないか」
ゲッソリ。
もう、言葉も出ない。
しかし、心なしか、触られた自分より横にいるフレンの方からピリピリと怒りの空気を感じるのは何故だろう。
「…ユーリ。兎に角行こう。えーっと、エステリーゼ様とリタが通った道を通ってみようよ」
「おう。あと、クレープな」
「分かってるよ」
にっこり笑うフレン。
さっきの空気は気の所為だったのだろうか?
なんて疑問にも思わないユーリはポテポテと歩き出した。
その後ろをフレンがついて行く。
(そう言えば、ウチの学校の制服のスカートって丈が短くないだろうか?僕の履いているのは比較的ウチの学校では長い方だけど、ユーリのは…)
歩くスピードを落とし、ユーリの後ろ姿を眺める。
「?どうかしたのか?フレイ」
くるりと体ごと振り返ったユーリのスカートがふわりと撒き上がり…スカートの中が見え―――。
(―――ないっ?なんで?もしかして、これが絶対領域って事なのかっ!?なんて、事だ…。あぁ、でも、ユーリ可愛い…。)
果たしてどっちが痴漢なのか分かったもんじゃない。
そして、それは世間が言う所の絶対領域ではない。
「そもそも、僕が触りたくて堪らないユーリのお尻をどうして他の男が先に触ってるんだ…」
「……は?」
「……けど、ジュディスに逆らう事は出来ないし、例え出来たとしてもそれなりの覚悟を持って挑まないと…」
「おい、フレイ?」
「流石に同じ寮に住んでてそれは出来ないよな。やっぱり…」
「おーい、フレーイ?」
ユーリの声など全く届いていない。
それどころか、いつの間にか思っている事が口に出ている事にすら気付いていなさそうだ。
さて、どうしたものか。ふと、ユーリが悩んでいると、とうとう、フレンの足が止まった。
気になって名前を呼び、フレンの目の前で視線を合わせると、一瞬きょとんとしたかと思うとにっこりと微笑みユーリの額にキスを一つ。
「どうしたの?ユーリ」
「そりゃ、オレのセリフだ。行き成りどうした?ブツブツ呟いたかと思ったら足まで止めて」
「え?あ、ごめん。何でも無いんだ。ただ」
「ただ?」
「ユーリが可愛いなって」
「……言っとくけど、全っ然嬉しくないからな」
「うん。分かってるよ。さ、行こう。クレープ買うんだろ?」
二人は今度こそ並んで歩きだした。
公園に行ってクレープを食べて、本屋に立ち寄り、図書館に寄り、レディース物の服屋に入る。
夕日が沈み辺りが暗くなるまで遊び、再び駅へと向かう、その道で二人は気付いた。
背後に一定の距離を保ちつつ、誰かが後を付けて来ている気配がする。
ユーリはフレンにだけ分かるような声でひっそりと名を呼んだ。
「おい、フレイ」
「…分かってる」
「大体図書館に寄った辺りからだよな」
「いや。君が幸せそうにクレープを食べていた辺りからだよ」
「…マジか?」
「うん」
「…オレ、勘鈍ったか?」
「クレープに集中してたからね。仕方ない」
それはそれで、何か悔しい。
そう告げるとフレンは馬鹿だなと言いたそうに、苦笑しそのまま表情を切り替える。
その表情はユーリにどうする?と聞いている。
ユーリは素直に駅の方を指示した。するとフレンも頷き、そのまま歩き続け、二人は駅を抜け切符を買うと電車へと乗り込んだ。
行きとは違う路線の電車。二人は立ったまま、乗降口の側に寄った。
会社の帰宅ラッシュに重なったのか、結構な人口量だ。普段から、学校が近くこんな電車に乗る事がない二人にしてみれば、正直しんどくて堪らない。
互いに体を庇うように抱き合う。傍から見れば潰されている様にしか見えない。いや、実際潰されている。
抱き合う様にと言えど、フレンがユーリを抱き寄せ庇っているのだ。
「く、くるし…」
「大丈夫?ユーリ」
「お、おま、何でそんな平然と…」
「僕の方はまだ若干スペースがあるから」
いくら二人が身長が180あるからとは言え、いや、寧ろあるからこそ色んな所の重圧が全て押しかかってくるのだ。
しかし、フレンが余裕顔なのは何か腹立つ。もぞもぞと動かせる範囲でフレンから離れようとすると、太ももに何かが触れ、ざわりと鳥肌が立つ。
「フレイ、おま、変なトコ触るな」
「え?僕の手はココだよ?」
そう言ってフレンはユーリの腰に回していた両腕でユーリをギュッと抱きしめた。
ならば、今足に触れた手はなんなのか。そう考えている間に、今度は背中を撫でられる。
はっきり言って気持ちが悪い。
「ふ、フレイ…っ」
フレンの後ろに手を回している状況じゃ、この手をどうにかする事も出来ず、目の前の男に期待をする。しかし、前にいる親友の表情もユーリと全く同じだった。
どうやら、フレンも同じ状況にあるらしい。ならば、どうにかフレンだけでも救えないかと手を動かすが、手が、首筋、肩、腰に足、腕様々な所を触っては絶妙なタイミングで離れて行く。
(成程な。…こりゃ、確かに気持ち悪ぃ。兎に角、次の駅だ。次の駅で降りる)
据わっているだろう目でフレンに訴えると同じ目をしてフレンも頷いた。
触られる気持ち悪さをぐっと堪え、漸く寮のある駅に着くと、直ぐ様電車を降り駅を駆け抜けた。
改札も、切符を入れ空くのを待つ事も無く飛び越え、寮へと向かって走り出す。
「…あー、気持ち悪かった」
「本当だよ。しかも、今も付かず離れずで追って来てる」
「こんなん、女なら泣いて当然だ。男のオレですらこえーよ」
「恐いって言うか、なんて言うか…」
寮へ向かう道すがら、フレンとユーリは話す。
只管走り続けると、漸く、寮が見えて来た。すると、後ろを追いかける気配がぐんっと近くなった。
「スピード上げやがったっ」
「ユーリ、少し急ぐよっ!」
「おうっ!!」
二人が更にスピードを上げ、寮へと辿り着き、ドアを開けようとした、その時。
「…逃がさないよぉ…。僕の天使達ぃ…」
混ぜまくった納豆の糸を引くような声で、二人を呼びとめた。
「そこに入られるとぉ…、犬がぁ邪魔なんだよねぇ。だぁかぁらぁ…こっち、来てもらうよぉ」
「……ったく。漸く顔出したか」
「貴方のお陰で僕達は大変でしたよ」
ここまで来たら遠慮はいらなかった。
ってゆーか、寧ろする理由が無い。
バキバキと手首を鳴らし、これで殴れると嬉しげに口角が上がるが、目は一切笑っておらず。
二人の背中には稲妻が落とされている錯覚にとらわれた男のにやけた顔が一気に青ざめた。
「その声、お、お、お、男ぉっ!?」
「……おーおー。悪かったなぁ。男で」
「さぁ、素直に出るとこに出ましょうか」
「ひ、ひいいいいぃぃぃっ!!」
「あ、てめっ!待ちやがれっ!!」
後退りして、慌てたように逃げ出した男をユーリが追いかける。
その横を青い獣が走り抜けた。
「へ?ラピード?」
余りの早さに追い抜かれ、ついつい足を止め呟いてしまった。
しかし、そんな飼い主の事は全く気にせず、ラピードは駆け抜けた。
「ガウッ!!」
「ひぃいぃっ!!」
ラピードがあっという間に追いつき、痴漢男の足に思い切り噛みついた。
ラピードは犬の中でもかなり大きい部類に入る。しかも、そんな犬に思い切り齧られたら、それはもう恐いに決まっている。
男の顔は恐怖と痛みに引き攣っていた。
「お帰りなさい。二人とも」
「お、おう。ただいま」
「ただいま。ジュディス。…所で、ラピードを嗾けたのはまさか…」
突然現れたジュディス。フレンが問いかけるが、ジュディスはうふふと笑うだけ。
「二人共、悪いけれど、その人を学校の保健室まで運んでくれる?」
「へ?学校?」
「えぇ」
「な、何故…?」
「……うふふ」
笑ってない。声は笑っているのに目は全然笑っていない。
ジュディスの目はいいからさっさと運べと言っている。
そんな怒り絶頂のジュディスに逆らうなんて出来ない。ユーリとフレンは壊れたブリキの玩具の様に首を縦に振ってその痴漢を学校の保健室に運んだ。
そのまま、ユーリとフレンは保健室を追い出され漸く家路に着く。
学校を出る瞬間。保健室から断末魔の叫びが聞こえたが、それは己の身の安全の為、あえて聞こえなかった事にした。
後日、ジュディスにそれとなく痴漢の事を聞いてみたけれど、
「きちんと話し合いをして、もう二度とこうゆう事が無い様にお願いしたの。もう、立派に良い人よ。『彼女』」
とにっこり笑顔付きで返って来た。
あの時みたあの痴漢は確かに『男』だった。
なのに―――『彼女』。
「………って、事はもしかして……」
ユーリの呟きと共に、この事件は闇に葬り去られ、ジュディスを怒らせるべからずは学園の暗黙の了解となった。



