フラワーロード
前編
星の瞬く夜。
ただ、空をぼんやりと見上げている。
仕事が終わっての帰り道。
すっかり冬になったこの季節は、少し息を吐くだけで目の前が白くなる。
きっとこの後雪も降るんだろう。
寒さに堪えるそんな毎日が最近少し変わっていた。
「…お、今日も流れてるな」
帰る道すがら通る電気屋の前で何時もこの時間に決まって流されている曲がある。
男の声である事は分かる。
けど、凄く透明感のある声。
ユーリは、この曲を凄く気に入っていた。
特に理由がある訳じゃない。
でも、何故か胸に響く。
何か訴えかけてるような…そんな歌だ。
つい足を止めて、その曲を聞いてしまう。
「そういや、この曲のタイトルも知らねぇな、オレ」
呟きつつ、曲を一頻り堪能して、そのまま帰宅する。
もう深夜に近い時間帯。
ユーリはそんな夜道を一人静かに歩く。
若い女の子が一人で歩く危機感と言う物はどうやらユーリには無いらしく、普通に帰宅してさっさと眠りについた。
翌日。
ちょっとしか変化がない毎日に大きな変化が訪れた。
何時ものようにユーリは勤務先である有名大学内にあるカフェテリアに出勤しながら、本日の日替わりメニューを考えていた。
(昨日はチーズケーキだったしな。今日はバレンタインも近いしチョコにすっかな。ショコラケーキ…いや、いっそ…)
ぼんやりとユーリがカフェテリアの入り口のドアを開けようとした、その時。
「〜〜〜♪」
「…歌?」
聞きなれた歌が耳に流れ込んでくる。
そして、ここ数日ですっかり耳になじんだ声だった。
ユーリの存在に気付いていないのか、歌は途切れる事がない。
正直聞いていたい
。
けれど、ユーリには仕事があり、それに歌っているのがどんな人物なのか興味があった。
(って言うか、そもそも、オレ鍵かけて帰らなかったか?)
鍵は何処も閉まっていて入れない筈だった。
それなのに人がいる。
それは流石にここの管理者としては駄目だろう。
ユーリは態と音を立てる様にドアを開けた。
ドアを開けたその先には、一人の男子生徒が窓から入り込む光を金色の輝く髪で反射させて、驚いた表情でユーリを見ていた。
驚いた表情は当然の事とはいえ、自分が来る事を普通は想像している物じゃないだろうか?
逆に驚いた顔が面白くてユーリは軽く笑ってしまった。
そんなユーリの反応に更に驚いた生徒は途端におろおろし始め、それが更にユーリの笑いを誘った。
一頻り笑った後、後ろ手にドアを閉めて、ユーリはカフェのカウンターに入って行く。
「あ、あの…」
「んー?どうしたー?」
持ってきた荷物を所定の位置に置き、中からエプロンを取りだすと、手早くつける。
「その…ここの店員の人ですか?」
「店員と言えば店員かな?寧ろ、オレの店だから店長?」
「えっ!?」
学生再び凍結。
その間にユーリは着々と店を開く準備を進めて行く。
手持無沙汰になった学生は、自分の足元に置いてあったカバンを持ってユーリに近付いて来た。
そして、深々と頭を下げた。
「…ん?」
「すみませんでした。勝手に入って」
「……おう」
会話終了。
怒られると思って覚悟していた学生にして見れば、どうしていいものやら。
「なぁ、一つ聞いて良いか?」
「はい?」
「あの曲。あれ、お前が歌ってんの?」
一瞬視線を彷徨わせ、けれど、覚悟を決めたのか、ユーリと視線を合わせ、大きく頷いた。
「そっか。なぁ、もっかい歌ってくれよ」
「え?」
「駄目か?ここに座っても良いからさ」
そう言ってユーリはカウンター席を学生に勧めた。
学生は素直に驚いた顔をして、でも嬉しげに笑うとゆっくりと席に座り、決して大きくはないけれど、ユーリに届く声で歌い始めた。
(生で聞くとこうも違うもんなんだな)
朝から何か嬉しい発見をした様な、そんな気分でユーリはオープンの準備を始めた。
(何気に贅沢な時間、ってね)
そんな贅沢な時間を味わって掃除とテーブル準備を終え、カウンターに戻る。
ずっと歌いっぱなしの学生にユーリはこっそり用意しておいたコーヒーを差し出した。
「え?これ…?」
「いいもの聞かせて貰ったからな。御礼だ」
言うと、その学生は凄く嬉しげに微笑み、「ありがとう」とカップを受け取った。
「いいや。こっちこそありがとうな」
「いえ」
「所で」
「はい?」
「アンタ、名前なんてーの?更に言うなら、どうやってここに入ったんだ?もしかしてオレ鍵かけてなかったか?」
「あ、いえ。違うんです。今日漸く学校に登校出来てやっと望んだ授業を受ける事が出来るって喜んで来たんですが…」
「あー、成程。ファンの娘達に追っ掛けられたんだろ?」
「はい。それで一先ず人がいない所に逃げ込もうと思って飛び込んだ場所がここで…」
「って事はやっぱりオレ鍵し忘れた?」
「鍵はちゃんと掛かってました。ただ、僕がここの合鍵を先生に借りていたんです。いざという時に逃げ込めって」
「因みに先生って誰?」
「レイヴン先生です」
「そうかそうか。んじゃ後でおっさん締めあげておくわ」
「えっ!?」
またしても学生の表情が青ざめた。
流石に可哀想に思ったユーリが冗談だと宥める。
学生の反応が一々面白くてからかってしまう。
「と、取りあえず、鍵をお返ししますねっ」
「んあ?いらねーよ。持っとけ」
「え?で、でも…」
「逃げ込む場所としておっさんがお前にやったんだろ?持ってろよ。他の学生とか入れなければ何時でも逃げ込めばいいさ」
「あ、ありがとう…」
ポケットを漁っていた手を止めて、学生は微笑んだ。
釣られて、ユーリも微笑む。
「あ、あの…」
「んー?」
一瞬言い淀みながらも、学生はしっかりとユーリと視線を合わせ。
「ぼ、僕フレン・シ―フォって言います。あの、貴女は…?」
「フレン、か。オレはユーリ。ユーリ・ローウェルだ。よろしくな」
「―――ッ!?…はいっ!ユーリさんっ!」
ニコニコニコニコ。
フレンが嬉しそうに笑う。
その屈託のない笑顔にユーリは困惑する。
どう応えていいものか。
そんなおりにふと時計を見ると、時間が丁度授業開始の五分前を示していた。
「所で、フレン」
「はい?」
「授業の時間だけど、いいのか?」
ユーリが言うと、フレンは慌てて腕時計を見て、ガタリと席を立ちドアへと急ぐ。
そのまま出て行くかと思えば、フレンはくるりと振り向くと、
「また、来ても良いですか…。ユーリ、さん」
「…ユーリで構わねぇよ。『また』な。フレン」
ぱあっと明るくなったフレンが出て行くのを見送り、ユーリは急いでカフェのオープン準備を進めた。
その日から、フレンは仕事が休みの度にユーリの下へと会いに行った。
ユーリはユーリでフレンと会話するのを楽しみにしており、来ない日は何処か落ち着かない位になっていた。
その日もすっかり特等席となったカウンターの席に座りフレンはユーリと話していた。
「所でユーリは何歳なんだ?」
「おいおい。女に直球で年齢を聞くのはマナー違反だろ」
「でもユーリなら気にしないだろ?」
「ははっ。まぁ、その通りだけど。えーっと、今年で23になったな」
「23?…ねぇ、ユーリ?もしかして、ユーリ、昔」
「ユ・ウ・リ・ちゃ〜んっ!!」
フレンの言葉が見事にぶった切られた。
余りに突然で、しかし聞きなれた声にユーリは溜息をつきつつ、声のした方へ振り向くとそこにはボサボサ頭で白衣姿のいかにもな研究員的な教師が立っていた。
「おっさん。もう少し静かに来れねーのか?」
「無理っ!これがおっさんの通常使用だものっ!」
「面倒な機能捨てちまえよ。んで?注文は?」
「何時ものっ!」
「へいへい。たまには他の注文して金落としてけよな」
ユーリが注文されたモノの準備を始めると、教師はフレンに気付いたのか、フレンの真横の椅子を引きそこに座った。
「フレンちゃん。最近良く学校来るわね〜。単位がやばかったりする?」
「あ、いえ。それは大丈夫です。ちゃんと計算して休んでますから」
「あらそ?体もちゃんと休めてるの?」
「問題ありません」
「そう。…無理しちゃ駄目よ。若さを過信してると後で痛めみるんだからっ!」
「良い年したおっさんがハンカチ咥えて涙目になるなよ。ほらよ、おっさん。ブラックコーヒー」
そう言って、ユーリが教師の前に淹れたてのコーヒーを置いた。
喜び受け取ったそのコーヒーを教師が一口すする。
その様子がまるでおばあちゃんが縁側でお茶を飲んでいる姿に似ているとは言ってはいけない。
「ふぁ〜…生き返るわー…」
「へいへい。フレンは何か食うか?奢るぜ?」
「本当かい?それじゃ、えーっと…」
「おっさんにはっ!?ユーリちゃん、おっさんにはっ!?」
「何か食いたいのか?甘いもんしか基本ねぇぞ?」
「おっさん、サバ味噌が食べたいっ!」
「帰れ」
「…つ、つめたい…しくしくしく…」
まるでコントの様な会話にフレンはついて行けず、苦笑いを浮かべるしか出来ない。
ユーリの楽しそうな姿を見ていると、フレンは少しの寂しさを覚えた。
そんなフレンの表情の変化に敏感に気付いたユーリは、ずいっとフレンの顔を覗きこむ。
「?、どうした?」
「い、いや。何でも無いよ」
「そうか?…本当か?」
ずいっと近付くと、フレンのおでこにユーリは自分のおでこをくっつけた。
「え?え?」
「熱は…ねぇみたいだな」
「だ、大丈夫。熱なんてないよ」
「そうか?何か段々熱くなってる気がするけど…?」
「き、気の所為だっ。それより、ユーリ。僕、このパンケーキが食べたいっ」
突然の反応にユーリは驚きつつも、頷き注文の準備を始めた。
「フレンちゃん…」
「はい?」
「青春だね〜っ!」
教師が嬉しそうな顔でしなる。
なんと応えていいか分からず、顔を赤くしてフレンは俯いた。
それすらも、大人な教師には可愛いのか、きゅんとしたのか、教師はわしわしとフレンの頭を撫でる。
「あの、ちょっ、レイヴン先生っ」
「フレンちゃんは可愛いねぇ。おっさん、そういうの大好きっ!」
「おい、こら。おっさん。若いのからかって遊んでんじゃねーぞ」
何気にしっかりと会話を聞いていたユーリが教師の、レイヴンの頭をお玉で叩き、フレンの目の前に焼きたてのパンケーキを置く。
そのパンケーキにはたっぷりの蜂蜜がかかっていた。
熱々のホットケーキにのったバターが溶けて凄く美味しそう。
「しっかり食って、体調維持しろよ?お前の歌聞くの毎日楽しみにしてるんだからな」
「う、うんっ!」
フレンが大きく頷く。
「青春、だね〜…」
レイヴン先生が甘酸っぱい二人の空気に、小さく呟いた。

