EngageRing
前編
頭が痛い。
…何でこんなに痛いんだろう。
やたらと重い瞼を何とか開けて、天井を眺める。
見慣れた自宅の天井。
…あぁ、そうか。
昨日部署の飲み会で、やたら強い酒を同僚に飲まされたっけ。
はぁ、と溜息をつき腕を持ち上げ、うざったい前髪を掻きあげる。
今日が休みだからと言って、飲み過ぎた。
と言うかそもそも、どうして強いからってあんなに飲まされなきゃならないんだ。
何事にも限度と言う物が…。
とりあえず、起きて水でも飲もう。
体を起こそうと何気なく横を向いて……全ての思考が停止した。
「……………え?」
………。
えーっと……。
僕の横にもう一つ山がある。
明らかに人が寝ている。
それは、いいとして…黒髪?
しかもロング。更に言うなれば向こうを向いているから確かな事は分からないけれど、あの細さといい、首の色の白さといい、何よりパッと見のラインからして…女性だ。
………―――えええええええぇぇぇぇぇっ!?
ちょ、ちょっと待ってくれっ!!
落ち着け、落ち着くんだっ!!兎に角落ち着けっ!!
大きく息を吸って吐く。
もう一度確認しよう。
ココは僕の住んでいるマンションで、尚且つココは僕の部屋、だよな?
辺りをキョロキョロ見まわし、確かに自分の家である事を確認する。
うん。間違いない。
次に、僕の恰好だ。
……上半身は裸だけど、下はパジャマも下着もちゃんと履いてる。
た、多分、問題ない、と思う。
後は…この女性だ。
もしかして…そんな事はないと思いたい。
思いたい、けど…僕だって男だし、お酒呑んで理性無くなったりした時とかだったり、記憶が無くなるほど飲んだりすると…。
最悪な結果が頭をよぎり、僕は必死にその思考を消す。
物理的に消そうとして頭を振った所為か二日酔いの頭がごんごんと鐘を鳴らす。
すると、一人で暴れてた故にどうやら眠りを妨げてしまったらしい。
「ん…?」と小さな声が聞こえて、その女性がこちらを向いた。
ベットの中で知らない女性と向き合う。
何だろう。
今まで生きてきた中でこんなに良くも悪くも緊張したのは初めてだ。
「お、おはよう…?」
何て声をかけていいか分からず、取りあえず挨拶をすると、彼女は眠たい目を擦っていた手を止めて、きょとんとした表情で僕を見ると、小さく微笑んで「おう。おはよう」と答えてくれた。
女性にしては少し低めの、けれど優しい声だ。
と言うか、…マジマジとその顔をみる。
色白で、アメジスト色の意志の強そうな瞳。
…凄い美人だ…。
「…どうかしたか?」
言われてハッとして、僕は我に帰る。
「い、いや。何でも無いよ。それより、え、っと…?」
「………ん?もしかして、酒の飲み過ぎで何も覚えてないってパターンか?」
僕の現状を先に察してくれて、僕は必死に頷く。
すると、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼女は悲しそうな顔をして、けれど、その表情が嘘だったんじゃないかと思う位直ぐに元に戻り、微笑んだ。
「そっか。けど、説明する前に何か食わねぇ?オレが作ってやるよ」
「え?え?」
「キッチン借りるぞ?」
「う、うん」
クスクスと彼女は笑い、起き上がり、って、あ…。
彼女は僕のパジャマのシャツを着ていた。
所謂彼シャツと言う奴で…。
…これは、もしかして…本当に最悪のパターンなんだろうか。
だとしたら、だとしたら…。
ぐるぐると思考が回る。
それに彼女の素足が…どうして下履いてないんだっ!
うぅぅ…。
ベットから降りて部屋を出て行った彼女を見送り僕はベットに突っ伏した。
これで僕も犯罪者の仲間入りなのか?
…もしそうなら、潔く責任を取らなければ…。
でも…顔も表情も行動も…全部、僕の理想そのもの、何だよな。
酔っぱらっていながらも、そこをちゃんと抑えてる僕が無駄に偉いと思う。
「って、そうじゃないっ!!…駄目だな。まだ混乱してる」
彼女は説明してくれるって言ってるんだ。
こんな所でもだもだしてないで、聞きに行こう。
ベットから降りて、クローゼットを開けて、TシャツとGパンを取り出して着替える。
パジャマは畳んで、ベットの上に置いておく。
あと、彼女の着替え。
流石にあのままでいられるのは、目に毒…じゃなくて、風邪を引いてしまうから。
でもスカートとか当たり前だけど持ってないし…とりあえず、大きいかもだけど、洗いたてのカーゴパンツとTシャツを持って部屋を出た。
部屋を出ると、ふわんと美味しそうな匂いが鼻を掠める。
テーブルの上には既にスクランブルエッグとカリカリのベーコンにポテトサラダが盛られた皿が置かれており、奥のキッチンからは鼻歌が聞こえる。
えっと、こう言う時どうすれば…?
すると、キッチンからカップを二つ持って、彼女が現れた。
「お、来たか。ほら、コーヒー」
「あ、ありがとう」
ソファに座って運ばれたコーヒーを受け取り、もう一個を彼女はテーブルに置いて、もう一度キッチンに戻って行った。
どうしていいか分からず、取りあえず貰ったコーヒーを飲むと、それにはミルクが入っていた。
基本的に何時もブラックだから、少し不思議な感じがしたけれど、それもまた嫌ではなかった。
彼女がこんがり狐色に焼けたトーストを持って戻ってくる。
「さ、食おうぜ」
「あ、うん」
僕も床に座り、テーブルを挟んだ向こう側に彼女が座る。
頂きますと手を合わせて、フォークでベーコンを刺して口に頬張る。
素直に、思う。
美味しい…。
そう言えば暫くこんな風に朝ごはんなんて食べてなかったな。
「どうだ?」
「美味しいよ」
「そうか。良かった。じゃあ、オレも」
そう言って、二人で無言で朝食を食べ始めて、また重要な事を忘れている事を思い出して、はっとした。
「って、そうじゃないっ。君の事聞かせてくれ。と言うか、昨日の事から全部教えてくれないか」
「どこから、話したらいいんだ?」
「どこからって、えっと…その…一番聞きたいんだけど、僕はその…君と」
顔に熱が集中する。
でも重要な事だから聞かないと。
真っ直ぐ彼女を見据え、覚悟を決めて最後のセリフを言おうとすると、何かを察してくれた彼女がクスクスと笑って顔の前で手を振った。
「ないない。お前が心配してるような事はなんもねぇよ」
「ほ、本当かっ?」
「おう。ま、オレとしてはそうなってもいいやって覚悟で一緒に来たんだけどな」
「えぇっ!?」
「でも、お前は一切手を出さなかったから。ただ、一緒に寝ようって布団に引きこまれただけだ」
兎に角布団に引きこんだ事は取りあえず後で反省するとして、取りあえず、取りあえずはホッとした。
「そもそも、お前はオレを助けてくれたんだよ」
「助け、って?」
「オレ、野宿してたんだ。公園にごろ寝してたら、何か外人かぶれの変な奴に襲われかけて、そこを助けてくれたのが」
「…僕、か?」
「そゆこと。それで、こんな所で寝てるオレも悪いと説教くれながら、ズルズルとオレを引き摺って家まで連れて来てくれたって訳だ」
「な、何だ。そうだったのか」
一気に安心した。
でも、まだ分からない点が何個かある。そもそも。
「どうして、野宿を?」
「ん?んー…」
「もしかして家出かい?」
だとしたら、連れ帰らないと。
「家出って言ったら家出、か?」
しかし、彼女からは煮え切らない返事が返って来た。
「どっち?」
家出なのか。家出じゃないのか。
「どっち?って言われてもな。家を強制的に追い出されそうになって、どっか知らない人間のトコに行くくらいならって家を出た訳だから」
どっちとも言い難いな。とケロリとした表情で言われても困る。
さて、どうしたものか。
彼女の話が本当なら、無理に追い返してもまた野宿をする可能性が大だ。
かと言って、彼女をこのままここに置いとく訳にも。
保護者の保護になっていたって事は、多分この感じだと大学生位だろう。
彼女の出方を伺ってると、悪戯っ子の様な顔をして彼女は笑い、パンと顔の間で手を合わせた。
「こんな見ず知らずの女を助けてくれたアンタに図々しいかもしれないけど、迷惑ついでで頼む。オレを一週間ばかり置いてくれないか?」
「え?」
「毎度あんな奴らに襲われて安眠妨害されても嫌だし、何より住む所がないとアルバイトも探し辛いんだ。駄目か?」
「と、言われても」
「家の隅で良いからさ。アルバイト見つかったら直ぐ出て行くし」
どうしたらいいか分からなかったけれど、彼女がこう言うのなら、僕の方で断る理由はない。
そもそも僕だって、このまま彼女を外に出していいものか悩んでいたから、丁度いい。
「そう言う事なら構わないよ。一週間とか区切りはいらない。君がある程度のお金が貯まるまでここを宿代わりにするといい」
「いや、でも、それは流石に悪いだろ」
「気にしないでくれ。それより今は自分の心配をしたらいい。それに、これだけは言っておくよ」
「?」
「例えどんな男であろうとも、見ず知らずの男にはついて行ったりしてはいけない。相手が本当はどんな奴か分からないだろう?」
「ははっ。だな。分かった。気ぃつけるよ」
嬉しげに微笑む彼女に一瞬僕は視線を外す事が出来なかった。
…可愛いな。
そう言えば、僕は彼女の名前を知らないな。
「遅れてしまったけれど、自己紹介するよ。僕はフレン。フレン・シ―フォだ」
「フレン、だな。オレはユーリだ。ユーリ・ローウェル。これから少しの間だけど世話になる」
「こちらこそ」
彼女の、ユーリの名前も聞けたし、これからの方針も決まった。
後、する事は一つ。
「ユーリ、食事が終わったら取りあえず、着替えてくれ」
「へ?」
「…その姿は、男の僕には、ちょっと目に毒だから…」
そう、彼シャツ状態のユーリは本当に目に毒だから。
言うとユーリは、そんなもんか?と首を捻りながらも、着替えてくれる事には納得してくれたようだ。
正直、ユーリは本当に可愛いと思う。
こうして、色んな意味で僕にとって戦いの毎日の幕が上げられたのだった。

