理想的な人。
【前編】
カチャカチャカチャッ。
室内に醤油の焼ける匂いや、食材を混ぜ合わせる音が充満している。
「なっ、なっ、ユーリ」
「んー?どーしたー?」
「これ、こんなもんか?もっと混ぜる??」
「どれどれ?」
横からひょいっと手を伸ばし、必死になってルークがかき混ぜているボウルの中身を指につけそのまま口に運ぶ。
ん。うまい。
しかし、コイツが来て結構なるよなー。
一年とちょっとか?
そもそもオレは、剣道特待生で今の学校に入学して、その代わり学費を援助して貰ってる。
そんな立場だから、…だから拒否する権利はない。
ないんだが、やっと育った施設から離れて一人暮らし出来ると思っていたら、こんな付属がついて来た。
『海外からの留学生でね?そのー、ちょーっと我儘って言うかー、何と言うかー、色々大変な子でねー。出来れば青年に面倒見て貰いたいなーとか』
と言う、担任のあのおっさんの一言で、その海外留学生を引き受ける羽目になり。
実際、来て見たらそりゃーもう、酷い我儘で…っつーより、世間知らずって言った方が正しかったか。
…が、ある日突然、性格がころっと入れ換わった。
何があったのか、詳しくは聞かなかったが、どうやら双子の兄と思いっきり喧嘩して更生した…みたいな事はクラスの奴らが言っていた。
更生…ねぇ。
そうは言えど変わり過ぎだろう。
長かった髪も短くして、一体何を言われたんだか…。
少なからず、オレみたいな女は別としても、ルークみたいな女は髪だって気にするだろう。
髪短くして帰って来た時、オレは既にそれなりにコイツを気に入ってたから、誰がやったって聞いても自分でやっただけだって言うだけだったしな…。
「…なぁ?不味い?」
「へ?」
顔を覗きこまれてハッと我に帰る。
ついつい、思考の海に沈んでしまった。
「不味ぃ?」
小首を傾げる。
それが何か近所の男の子カロルと姿が被って、ちょっと微笑ましい。
オレは、ルークのその頭をガシガシと撫でると、微妙に不安がっているそれを吹き飛ばす様に笑った。
「大丈夫、ちゃんと旨い。上手くなったな」
「ほんとかっ!?へっへ〜、俺だってやれば出来るんだかんな」
「へいへい」
「んで、このドレッシングをサラダにかければいいんだよなっ」
「そうだ。それで今日の飯は完成ってね」
ルークが盛りつけられた野菜の上にドレッシングをたっぷりかけてサラダの器に盛るとその器を二つ持ち、オレはトレイに、ベーコンサンドとポタージュを乗せテーブルへと運ぶ。
お、飲み物ねぇな。
急いで、もう一度シンクに戻り、グラスを二つ持ち、冷蔵庫からオレンジジュースを取りだすと、ルークが座っている場所へと戻りその前にグラスとジュースを置くと、向かいに座る。
「さて、食うか」
「おうっ!」
「いただきます」
「い、いた、だきます…」
未だに『いただきます』とか『有難う』とか言う時に何故か顔を真っ赤にする。
何か、同じ性別だが、こう言う所は可愛いと思う。
新しい自分を探す為に必死なんだろうな。
サラダだって苦手なだって騒いでいたくせに、今は我慢してもぎゅもぎゅ食べてる。
「…?」
「ん?どした?」
ルークの目が嬉しそうに輝いた。
「エビ、入れてくれたのか?」
「余ってたからな」
「あ、あり、がとう…」
「どういたしまして」
毎朝こうやって食事を取るのがもう日課になって、しかも自然とその時間が長くなっている気がする。
気付けばこの時間を取る為に早起きをしてるんだから。
「あ、そうだっ、なぁなぁ、ユーリっ」
「んー?どうしたー?」
「男を虜にするにはどうしたらいいんだっ!?」
ぶーっ!!
予想外の言葉が、っつーか、えっ!?
今、ルーク何言った?
え?オレの聞き間違いか?
「え?何っ?ちょ、悪いんだけど、も一回言ってくれねぇ?」
「と、兎に角口拭けよ」
言われて、思い切りジュースを吹き出した事を思い出した。
手近にあったタオルで口を拭き、改めて、もう一度。
「で?何だって?」
「だから、男を虜にするにはどうすればいいんだ?」
どうやらオレの聞き間違いでも気の所為でも何でも無かったらしい。
ルークの目が純粋に疑問をぶつけて来ている。
…やべぇ、どうすっか…。
「…よし、根本的な所から聞こう。何で虜にしたいんだ?」
ルークのベーコンサンドを食べていた手が止まった。
一瞬言おうかどうしようか迷ったんだろう。
けど、ゆっくりと口を開いて呟いた。
「…俺には色気が無いって…」
「誰が言った?」
「…ジェイドが」
…あの鬼畜眼鏡保健医か。
無垢なルークに何言ってんだ、あいつは。
「…んで?どうして虜って事になった?」
「男を誘惑出来れば、色気が無いって事にはならないだろ?」
何だ?どうしてそんな極論に走った??
誰だ、こいつをこんな風に教育した奴は…。
「なぁ、ユーリ。どうすれば虜に出来る?色気ってどうやればつける事出来るんだ?」
「……だいたい、何でオレに聞くんだよ。ジュディとかティアとか、アニスとかいるだろ?」
「ジュディスは何か色気あり過ぎて逆に聞けねぇし、ティアには絶対聞けねぇ…し、…アニスは…、問題外だろ」
「…おいおい」
「なぁなぁっ、ユーリっ。教えてくれっ」
ずいっとテーブルから上半身を乗り出して聞いてくる。
ど、どうしたら…。
よ、よし。分かったっ!
ここは覚悟を決めてっ!!
「ま、まずは飯を食おう。なっ、ち、遅刻するからなっ」
「へ?」
ピンポーンッ。
グッジョブ、チャイムっ!!
「だ、誰だろうな。ちょっと出て来るなっ!」
今はこの場から逃げるっ!!
直ぐ様玄関に走り、ドアを開けると、金髪が目に飛び込んで来た。
「あれ?珍しいね。ユーリがもう起きてるなんて」
「フレンっ。今日はお前が天使に見えるっ」
思わずフレンに抱きつく。
「えっ!?ちょっと、ユーリっ!?」
珍しくフレンがわたついている。
ん?
でもこの程度でわたつくような奴だったか?
意外と校内で抱きついても、抱きしめ返すみたいな反応する癖に?
「フレン?」
「へぇ、ユーリとフレンって大胆だな」
聞き慣れない声が?
って、あのフレンにそっくりな金髪は…?
「ガイか?」
「おう。朝からラブラブだな。お二人さん」
ニヤニヤと。
でもまー、こいつのこう言う所は嫌みが無いから別に嫌いじゃない。
だから。
「何だ?ガイ。羨ましいか?」
「あぁ、羨ましいね」
「ふっ、お前にも抱きついてやろうか?」
「…ユーリ、お前分かってて言ってるだろっ」
「当ったり前だろっ。なぁ、女嫌い?」
「ご、誤解するなっ!!女性が嫌いな訳じゃないっ!!女性に触られるのが苦手なんだっ!!」
「あー、はいはい。悪かったな」
ぎゅっ。
「うわああああああっ!!抱きつくなああああああっ!!」
よしよし、何か気が晴れた。
取りあえず、ガイから離れると二人に手招きして、部屋の中に戻る。
二人が後ろから追ってくるのを見て、ベーコンサンドを食べていたルークの手が止まった。
「あれ?ガイ?何してんだ?お前」
「登校中にそこの道でフレンに会ってね。ユーリのトコに行くって言ってたから便乗させて貰ったんだ」
「ふぅん」
「ん?どうした、ルークお嬢様?」
「別に…」
明らかに膨れている。
ルークには悪いがオレはほっとしている。
これで少し考える時間が出来るだろう。
しかし、色気、か。色気…ねぇ?
オレに色気なんてねぇしなぁ…。
って言うか、どういうつもりであの鬼畜眼鏡保健医はルークに色気がねぇって言ったんだ?
「…ユーリ?」
「え?あ?なに?」
「いや。何か悩んでるのかな?って」
「悩んでるっつーか…何つーか…」
ルークに色気をつけるにはどうすればいい?
…何て流石に聞く訳にはいかねぇしなぁ…。
だから、そもそも色気ってなんだ?
結局そこに戻り着く。
そういや、女の色気ってよく言うけど、同じ位男の色気って言うよな?
「って事は、フレンにもあるって事だよな」
「え?ユーリ?何の話?」
じーっと。
フレンの姿を見てみる。
色気…?色気ー…。
特に…感じない、ような…?
だって普通の男子高校生、だろ?
「ユーリ…?」
あぁ、でも、プールの授業とか水に濡れた時、髪かき上げた時とかやたら男臭く見えるって言うか…それがあれか?色気って奴か?
あれってオレでも有効か?
でも、別に濡れても無いし、…髪を横に流す位なら…。
試しに横に流してみる。
それからじっとフレンの様子を見る。
特に変化なし。
色気ってあれか?エロいってのとは違うのか?
常に外してる制服のシャツの第一ボタン。第二ボタンも外してみるか?
ボタンに手を伸ばした時。
「うわあああっ!!ちょっと、ユーリっ!!」
「うわっ!?」
「な、何でいきなり服脱ごうとしてるのっ!?」
「へ?」
フレンが真っ赤になってオレから顔を逸らしながらも、手でオレの行動を制している。
別にボタンを外そうとしただけなんだが…。
そのまま視線だけを他に巡らすと、ガイがルークの目を塞いでいた。
…教育に悪い。
そう、視線で言っている。
仕方ない。これは諦めるか。
「分かった分かった。もうしないから、手を離せ」
「…ほっ」
手を離して貰って、ガイとルークの方を見る。
そして、時計を見る。
「って、やべ。そろそろ、飯食って出ないと遅刻する」
言うと、ガイが手を離し、ルークも時計を見て慌て始める。
取りあえず急いで朝食を口の中に押し込み、フレンとガイの手を借りて食器を洗うと、オレ達は急いでマンションを出た。

