失くせないモノ
【1】
「……ここ、か?」
見上げたら腰を痛めそうな位高いマンション…いや、億ションか?
つい疑いたくなるような建物の前にオレはボストンバックと買い物袋を提げ、手元のメモと建物の名前を見比べた。
しかし、メモと場所の狂いは無い。
「…マジか」
こんな立派なトコに一介のしかも貧乏学生が来てもいいんだろうか…。
一瞬躊躇いが生まれる。
…おっさん、これ本気なのか?
ふと、ここに来る事になった理由を思い出した。
※※※
「バイト?」
ついつい聞き返してしまったが、それも仕方のない事だった。
まさか教師が、しかもアルバイトを禁止しているこの学校の教師がそれを勧めて来るとは思わなかったから。
けれどアルバイトを斡旋した教師は何食わぬ顔でそうそうと明るく頷く。
「なぁ、おっさん。この学校アルバイト禁止じゃなかったか?」
「そうね〜。規則はそうなってるわね〜」
「いいのかよ。教師があっさり校則破って」
「あんまり良くはないけどね。…でも、青年が学校を辞めるより断然いいでしょ」
漂々と言われてオレは返す言葉を失った。
そう、オレはおっさんに学校を辞めると言いに来たのだ。
小さい頃に親と死に別れ、施設で育ち何とか今この学校に入ったものの、入学資金とか学費とかを支援してくれていた施設が経営難に陥り、オレの学費を払えなくなったと言う。
だったら、選択肢は一つしかない。
学校を辞めて働く。
それしか。
オレは学校を辞める為に担任であるレイヴン先生と話にきたら、おっさんに連れられ進路指導室へ。
そして、アルバイトの話が持ちかけられた。
「生活が困難な者にまでアルバイトをするなとは流石に学校側も言わないだろうし、今のご時世高校も卒業してないんじゃ、仕事にも就き辛いわよ」
「……けど」
「大丈夫、大丈夫。おっさんに任せときなさいって。後は青年の気持ち次第よ。学校…続けたい?」
珍しくおっさんの目が本気だった。
…オレだって出来るなら、施設の先生達が入れてくれた学校位は卒業したい。
高校三年になって、後一年で卒業出来るんだから…。
どうせこのバイトが上手く行っても行かなくても結果は学校を辞める事になるんだ。
だったら、…やれる事はやった方がいいよな。
オレはおっさんの視線を受け止め、大きく頷いた。
※※※
…おっさん、一体どこら辺が大丈夫なんだ…。
梅雨の晴れ間の照りを体中に浴びながらも、冷や汗が背中に流れそうだった。
とは言え、ここでぼーっとしてても仕方ない。
オレは一歩踏み出した。
おっさんから勧められたアルバイト。
それは…。
『家政婦』
だった。
昔から家事一般は全て自分でやっていたし、料理は好きだし別に苦でも何でもないが…。
ただ相手が、おっさんの元教え子で、学校のOB。更に言うなれば在学中は生徒会長様だったそうだ。
金持ちの家に生まれて、容姿も抜群。完璧な優等生。
おっさんが言った事を思い出せば思い出す程、オレとの共通点がまるでない。
これでホンットに大丈夫なのかよ、おっさん…。
正直な話、おっさんをど突き倒したい。
けど、これも高校を卒業する為、我慢するしかない。
自分の感情にしっかりと理性と言う名のセーブをかけて、オレは足を進めた。
自動ドアをくぐり中へ入ると、外見通りのエントランスの広さ。
真っ直ぐ奥にはエレベーター。右には郵便受け。左にはインターホン?らしき物があった。
…ってことは、だ。
ココは、各階が個人の部屋って事か?
……ますますギャップを感じるんだけど…。
取りあえずインターホンらしき物に近付くと、…何だよ、これどうやってやるんだ?
……わからねぇ…。
ボタンがあり過ぎて……ん?
あれ?
でも名前が表記されてる?
その下にあるボタンを押せばいいのか?
えーっと、確かオレが行く部屋の住人の名前は…と。
フレン・シ―フォ、だったかな。
えーっと、フレン、フレン・シ―フォっと……あ、あった。
6階か、とりあえずボタン押してっと。
ボタンを押すと、暫くして『はい』と声が帰って来た。
一瞬何処から声がしているのか気になったけれど、直ぐ下にスピーカーがありここで音を取っている事が分かり、直ぐに返事を返す。
「あ、えーっと、レイヴン先生から言われて来た、ローウェルだけど」
『え?…あぁ、そうか。レイヴン先生がそんな事言ってたっけ。今鍵開けるからこっちまで来てもらえるかな』
「っつっても、どうやって?エレベーターで行けばいいのか?」
『そう。その奥にエレベーターがあるだろう?そこにある6階のボタンを押せば大丈夫だから』
「分かった。6階のボタンを押せばいいんだな」
6階のボタン。
何度も口で呟いて、エレベーターの前に立ち、ドアの横にあるボタンを、6階のボタンを押す。
すると直ぐ様エレベーターに乗る為のドアが開き、オレはそれに乗り込んだ。
流石と言うか何と言うか、金をかけているだけの事はあって、あのエレベーター独特の気持ち悪さを全然感じさせずにあっという間に6階についた。
ドアが開くとそこには、もう一つドアがあり、そのドアの横には表札がある。
とは言っても良くみるネームプレートみたいなもんだな。
『フレン・シ―フォ』
…うん。間違いねぇな。
しかし、どうすんだ?
も一回インターホン?
どこにあんだよ、そんなの。
キョロキョロと辺りを見渡すけど、狭い、それこそ人二人入ったらキツキツになりそうなスペースにそれらしきものは見当たらない。
仕方なくドアをノックしようとすると、オレが手をドアに当てる前にドアが開いた。
ってか、狭っ!?
慌てて後ろに引くものの、こんな狭い空間でしかもドアを開かれると立てるスペースが無い。
それでも何とか後方へ引くと、ひょこりとキラキラと輝く金髪が目に入った。
「あぁ、すまない。大丈夫かい?」
「お、おう。あんたがシ―フォさん?」
「そうだよ。君はローウェル君であってるかい?」
「あぁ。おっさんの…レイヴン先生の紹介で」
「あ、ちょっと待った。詳しい話は中で聞くよ。どうぞ、入って」
「え?あ、…お、邪魔します?」
言葉を遮る様に中へと誘われ、オレは素直に中へと入る。
狭い玄関で靴を脱いで、促されるまま部屋の奥に入るとさっきの玄関の狭さからは想像できない程大きなリビングに辿り着く。
「…広っ!?」
「そうかな?そうでもないと思うけど」
……オレのいた施設の部屋がここに三つほど入りそうだ。
しかも、オレなんかそんな小さい部屋に4人が一緒に寝たり起きたりしてたんだ。
それをそうでもない、とか…一瞬殺意が芽生える。
が、…理性理性、と呪文の様に唱えて心を落ち着けた。
「どうぞ、ソファに座って。今、お茶を入れるよ」
「い、いやいやいやっ!いいっ!!座ってていいっ!寧ろそれオレの仕事っ!!」
オレが一瞬座りかけたソファから立ちあがり必死に止めると、そいつは驚いた様な顔をしながらも『気にしないで』とそう言うと、キッチンに消えた。
それを目で追って、どうにも手持無沙汰になったオレはそのままもう一度ソファに沈み込んだ。
人の家をジロジロみるのはあれかと思いつつ、けど家主が帰って来ないからする事も無く、辺りを見渡す。
…テーブル、本棚、ゴミ箱、絨毯…。
何かどれも立派過ぎて…。
立派過ぎて?
……っつーか全然汚れてなくね?
このソファも、ファー的なカバーがついてるけど、人が座る場所なら何かしら座った形跡が見えても可笑しくない筈なのに…?
気になってソファから降りて、絨毯を手でなぞってみる。
うわっ、これ買った時と大して変わらないんじゃ…。
「何をしてるんだい?」
「うわっ!?」
思わず驚きが声となって飛び出してしまった。
い、何時の間に戻って来てたんだ、コイツ…。
背後に立っているその双碧をじっと見つめると、その瞳は少しの影を落とすけれど、直ぐに人受けの良さそうな笑みへと変わった。
「驚かせたかな。はい、お茶。どうぞ」
「あ、あぁ。サンキュ」
急いでソファに戻り差し出されたお茶を受け取る。
…日本茶?
湯のみだし、多分そうだよな。
「いただきます」
「あぁ、どうぞ」
ふーっと少し冷まして、ズズッと口に含み……うっ。
……。
さて、ここで二択だ、オレ。
このありえない漢方薬を湯に溶かした様な目の前の雇い主自称お茶を『飲み込むか、否か』…っ!!
初めて会った、しかもこれから世話になる雇い主だ。
ここで吐き出したりしたら絶対に悪印象を与える事になる。
しかし、これを喉に通すのは物凄い勇気が…。
どうする、オレっ!
考えれる時間はそうないぞっ!!
何故ならこのお茶の味が口内に浸透し始めているっ!!
そしてオレは決断した。
―――ごっくん。
うぅぅ…。喉を奇妙な物が通り過ぎていく…。
後味も最悪…。
「…それで、本題なんだけど」
「…ふぇ…?」
目の前の雇い主は一口お茶を含んでにっこりと笑った。
「僕の家で家政夫をしてくれるってレイヴン先生が言っていたけれど」
「あ、あぁ」
間違いではないので頷く。
「確か君が通っている学校、まぁ僕の母校でもあるんだけど。あの学校はアルバイト禁止だった筈。それでも教師が一緒になってバイトをさせてくれと頼む理由を聞いてもいいかな?」
…やっぱりこの質問されるのか。
雇い主だし、一応共犯者になる訳だし、伝えなければいけないんだろうと分かってはいたけど…。
オレは施設で育ったって事は基本的に言いたくない。
恥ずかしいとかそんな事じゃなく。ただ…その事で変に同情されたりするのが嫌いだからだ。
だから、要点だけをかいつまんで話す事にした。
「ちょっとした事情があって、オレ金なくて学校辞めなきゃならなくなったんだけど。そしたらおっさん、あ、いやレイヴン先生がバイトを紹介してやる、高校は卒業しておいた方がいいからって」
「…成程」
じっとオレから真意を探る様に見て来るが、オレは素直にそれを見返した。
別に嘘は言ってねぇし、やましいこともない。
「そうか。…だが、正直に言って家政夫と言っても僕の家はやって貰う事が無いんだ」
「へ?」
「この家にはただ寝に帰って来てるだけであって、食事も外で取るし、洗濯もクリーニングに出してるし、部屋は汚れに気がついた地点で内装を変えている」
「はあ?」
「だから実際して貰う事が無い」
ちょ、ちょっと待て。
頭が付いて行かねぇ。
えーっと要するに、オレは働かない内から首になったって事か?
して貰う事がないってのはそう言う事だよな?
オレは勤め先にきてそうそう首になると言う、頭を抱えたくなる事にブチ当たるのであった。

