失くせないモノ
【2】
雇い主の家のリビングで何とも居心地の悪い沈黙。
とは言え、雇い主本人がやって貰う事が無いと言っているんだ。
それじゃあここに残っても仕方ない。
おっさんに責任とって雇って貰うとして、取りあえずここから帰るか。
そう決めるとオレは席を立つ。
「ローウェル君?」
「仕事がねぇならオレがここにいても迷惑だろうから、帰るわ」
「え?ちょ、ちょっと待ってくれ」
歩き出したオレの腕を雇い主ががっしりと掴んだ。
すっかり帰る気でいたオレは何でここで手を掴まれ引きとめられるのか理解できずに首を傾げた。
「ん?何か用?」
「用って、君はここに働きに来たんだろう?」
「そりゃそうだけど、仕事、ないんだろ?」
「それは、そうだが…」
「んじゃオレここにいる意味無ぇだろ?だから、帰る。それにアンタもオレをさっさと返したかったんだろ?あんな破滅的まずさのお茶出す位なんだから」
「えっ!?破滅的まずさっ!?」
「何だよ、んな態とらし、い…?」
態とらしい言い方すんなよっ、と本来は続く筈だったんだが…。
目の前の金色が、ずぅ〜んっと空気すらも重くして気分と頭を沈めてしまったから何とも突っ込みを入れれなくなってしまった。
「……おい。どうした?、…なぁ、もしかして、もしかすると…アンタ、あのまずさに気付いて無かった、…とか?」
「…不味いも何も美味しいと思うんだよ。僕は。…けど、会社でも僕がお茶を入れると決まって君と同じような反応をするから…」
ぎゅっとオレの腕を掴む力が強くなって、それと比例するようにどんどん金色が落ちて行く。
…うぅ〜ん、もしかしてオレ地雷踏んだんじゃ…。
「…はぁ。ちょっと台所借りるぞ」
「え…?」
オレは鞄を邪魔にならない部屋の隅に置き、さっきコイツが出てきた場所へと歩く。
多分こっちが台所で間違いないだろう。
ドアは無いけれど、敷居のようなアーチ状の所をくぐり入ると確かに台所で、……。
………は?
思わず足が止まり目が点になる。
ちょっと待てよ。
何だ、この状態…。
失礼かとも思うが、勝手に冷蔵庫のドアを開ける。
…マジか…。
ホントのホントに、『空っぽ』だ。
これ、電気通してるだけ無駄だろっ。勿体ねぇっ。
はっ!?
まさかっ!?
シンク下の戸棚を開ける。
やっぱり包丁も鍋も、調理道具と言われている物が何も無いっ!
他にはっ!?
視線を巡らし、棚を見る。
オーブンレンジ…使った形跡ゼロ。
戸棚…空っぽ。
「ありえねぇっ!!」
つい力の限り叫んでしまった。
だってそうだろっ。
調理器具がIHのクッキングヒーターの上にちょこんと乗ってるヤカンだけってっ!
「…だから言っただろう?食事は外でしてるって」
「威張ってんじゃねぇよっ!これだから金のある奴はっ!」
「ローウェル君?」
「宝の持ち腐れだっ!冷蔵庫だって使わねぇんだったら、電気切れっ!コンセントを抜けっ!!寧ろお前にこんな広い部屋不要だっ!」
ぜーはー、ぜーはー…。
オレのデカイ声にびっくりしているが、もう、そんなの関係ねぇ。
オレは、さっきコイツが入れたであろうお茶を探す。
茶だけはある筈なんだ。
空でもいいからどっかに…あ、あった。
何でキッチン洗剤とお茶缶が並んでるんだよ…。
まぁ、いい。
オレは手早くお湯を沸かし、さっき飲まされた地獄茶をぽいっと流しに捨てて湯のみを洗い、程良く沸いたお湯を少しだけ湯のみに入れて温めて置く。
えーっと、お茶の種類は……緑茶。
…緑茶っ!?
なんでそれがあんな地獄茶になるんだよっ!!
適温に沸いたお湯を……。
…おい、急須がねぇんだけど…。
あぁ、そうか。だからさっき大量のお茶葉が浮いてたのか…。
何か、何か茶越しになりそうな…あ、そういやオレ急須持って来てたじゃん。
一応持って行った方がいいかな、とか思って。
えらいぞ、オレっ!
急いで鞄の所まで戻り鞄を漁って急須を取り出して台所に戻る。
お茶葉を適量急須に入れて、お湯を入れると、蓋をしてゆっくりじっくりと回して、シンクに置く。
ちょっと蒸らしている間に湯のみに入っていたお湯を捨て、布巾…も無いのか。仕方ない、ティッシュで軽く拭いて、程良い位になった筈のお茶を二つの湯呑みに交互に入れて行く。
そうすれば味は均等になる。
中の茶が少し残り、一番濃い所を急須に残し、オレはその茶の入った湯呑みを未だに目を大きくさせて驚いているそいつへ差し出した。
「ほら」
「……え?」
「これが、ホントのお茶の味だ。アンタは今まで外でお茶を出された事ねぇのか?あんな風に茶葉が浮いてたり、味が濃かったり、喉に刺さる様な味がしたりしなかっただろ」
「…確かに、ぼやけた味だった」
「違うっつーの。ぼやけた味なんじゃなくて、アンタが尖った味しか反応出来なくなってるんだ。まず良いから飲んでみろ」
無理矢理そいつの手に持たせると、オレと湯呑みを交互に見て、そして湯呑みを口元まで運び一口飲みこんだ。
すると更に目を大きくさせて驚く。
「……美味、しい…」
「だろ。外で外食とかばっかりするから本当の美味いもんってのが分からなくなるんだ」
オレは使った急須をシンクに置き、冷蔵庫のコンセントを嫌がらせの様に引き抜き台所を抜けると、鞄のチャックを閉めて改めてそれを担ぎ外へと向かう。
「ちょ、ちょっとっ」
さっさと出て行こうとしたオレの腕をそいつは慌てて掴む。
っつか、何でさっきから出て行こうとすると止めるんだ?
オレの仕事がないなら、帰った方が特だろうに。
「…君に帰られると困るんだけど」
「は?何でだよ」
「レイヴン先生にはお世話になってるからね」
ニッコリと笑われてオレは理解した。
案に、コイツはオレをここで無下に追い出した後、おっさんに何か言われると困ると言ってる訳だ。
「っつっても?仕事ないし?仕事も無いのにここにいる理由はないし?」
「まぁ、仕事はないかもしれないけど、部屋なら沢山ある。貸してあげる事は出来るよ」
「貸して貰ってもオレは金がねぇ。家賃払えねぇし。そもそもその金がが無いからここで働こうとしてるんだけど?」
ちょっと口調がきつくなった。
けど、オレは間違った事を言った覚えは無い。
いっそ開き直り真正面から見合うと、そいつは静かに頭を振った。
「家賃は別にいらない…が、そうだな。そもそも学費も稼がなければいけないともいっていたな。…じゃあ、こうしよう。君の学費と食費、そしてお小遣いは僕が払ってあげよう」
何だ、一体何を考えてるんだ?
そいつの真意が読めなくて、じっとそいつを見る。
しかし顔もその瞳も真剣そのもの。冗談を言っている雰囲気ではなさそうだ。
オレは静かに次の言葉を待った。
「ただし」
そう来ると思っていた。
良い話には必ず条件が付きものだ。
幼い時からそれは絶対だった。
そいつはオレから少し離れ、本棚から一つのパンフレットを持ってそれをオレに差し出した。
学校のパンフか?
しかも、これは…大学?
ってちょっと待てっ!
「これ有名私立の一流大学じゃねぇかっ」
「そう。僕が経営する学校の一つ。ここに入学して卒業すると言う条件をクリアして貰う」
「なっ!?」
おいおいおい…マジか。
けど、ここに入学して卒業。
多分こう言うって事は、この大学の学費もこの条件に含まれるんだろうけど…。
けど、条件としては良い事だらけなんだよな。
幸いこの私立大学にはオレの就きたい職業のコースもある。
こいつは大学を卒業する迄が条件だって言ってたけど、どのコースに入れって言う指定は無かった。
上手い話には裏がある。
確かにそうだ。けど…。
「今のオレには、そんなに選択肢はない。だったら責めてオレが進みたい道を選ぶのがせめてもの…だよな」
「…どうする?」
「…因みに、オレが大学入れなかった場合は?」
「その場合は、君に何年かかってもお金を返して貰うよ」
「…了解。いいぜ、その条件のむ」
言うとそいつは満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、早速君が使う部屋に案内するよ」
「あ、あぁ。悪い、サンキュ」
後ろをテクテクと付いて行く。
広いリビングを抜けると長い廊下が続き、交互に部屋のドアが向かい合っており、一つ、二つ、三つ…どんだけ部屋あるんだよ。
思わず突っ込みを入れたくなる。
それでも付いて行くと五つ目のドアの前でそいつは止まり、そこのドアを開けた。
「ここの部屋を君の部屋にするよ。自由に使ってくれ」
さっきいたリビングより狭いものの、それでもかなりの広さ。
…暫くは落ち着かなそうだな…。
「今来た廊下の一番最初のドアがトイレ、その向かいがお風呂、後、この部屋の向かいが僕の部屋だよ。で、僕の部屋の隣が上の階に行くエレベーターでそこから上の階のトレーニングルームにつく。そっちには客室も二つあるんだ。後は君の部屋の隣が僕の仕事部屋だからそこには入らないでくれるかな」
「…別に人の家を荒らす趣味はねぇよ」
「机とか必要な物は明日にでも発注しておくけど…」
「別にいらねぇよ。調度良く和室だしな。自分で持ってきた簡易机で何とかなる」
「そうかい?」
「あぁ。布団もあるし充分だ」
隅に積み上げられてる布団だって多分見た目からして分かる位の高級布団だろうし…。
多少の埃もそんなに気にならねぇしな。
「僕の仕事部屋にさえ入らなければ他は自由に使ってくれて構わないから」
「分かった」
「取りあえず、荷物を片付けると良いよ。僕は仕事に行くから」
「…分かった」
言うやいなや、そいつは直ぐに自室へと籠ってしまった。
家では何もしねぇっつーか、寝に帰ってくるだけって本当なのな。
とりあえずオレは部屋に荷物を片づける事に専念する事にした。
こうしてオレとフレンの共同生活が始まった…。



