硝子の壁
【11】
もう何日経ったんだろうか。
一度は普通の洞窟に戻ったこの場所もまた闇に呑まれている。
たまに光が入ったと思うと、そこにまた偽フレンが現れて何もせずただじっと視線をよこす。
今日もまた、…さっきから偽フレンの気配がしていた。
『……』
何も言わないで、ただじっとこっちを見ている。
普通の女なら耐え切れないだろうな。
闇の中にある視線。一面の闇。光も何もない。
何より、精神的に耐え切る事は出来ないだろう。
でもオレは…別に何とも思わない。
今更闇で怖がったりはしない。
いや、……違うか。
恐怖が無い訳じゃない。
何時この闇に自分が負けてしまうか。
常に緊張状態にある。
けど、オレが今もこうやって、闇に抗っていられるのは…。
きっと、これのおかげだろう。
オレは手の内にある、ガラス玉を親指と人差し指で挟み、光がある訳でもないのに、高くかざしてみる。
自分の姿すら確認出来ない闇の中なのに、その蒼いガラス玉は光を放っていた。
まるで…フレンみたいに。
フレンの目がある。
フレンの気配がある。それだけで、オレは心を落ち着かせる事が出来ている。
側にずっとアイツがいる。それが、その事実がこんなに…。
「………フレン……」
無意識に声に出していた。
…偽フレンと毎日対峙して、その度に思う。
こんなにも違うって。
偽フレンだって、見た目は瞳の色以外何も違わない。
なのに、違う。
「……信じてっからな。お前は約束破った事ないもんな」
オレはガラス玉に向かって、微笑みそれをまた手の中へと閉まった。
そのまま、闇しか見えないものの、元々は洞窟の壁があるんだろう場所へ背を預ける。
再び目を閉じて、物思いに耽る事にした。
フレンは約束を破ったりはしない。
小さい頃からそうだったし。
そもそも約束破るのは何時もオレだしな。
一緒に騎士団に入って帝国の制度を変えるって約束も破ったのはオレだし。
……いやいや。違う。
約束を破ったつもりはねぇ。オレはオレの道で帝国の制度を…っつってもなぁ…。
『騎士団に入って』って所は約束と違うしなぁ…。
ん?でも待てよ。
一度は騎士団に入ってるから、間違いでもねぇのか?
『君は君のやり方で、僕の傍にいてくれるじゃないか』
ふとフレンの言葉と笑顔を思い出す。
……嬉しい、以上に恥ずかしい…。
こんな洞窟で一人闇の中にいて、恥ずかしさに顔を真っ赤にして悶えてるとか…馬鹿かオレは。
フレンは必ず助けに来てくれる。
その確信はある。
けど、アイツの事だ。絶対無茶してるよな。
あの時、闇がフレンの腹を貫いた。
あの傷は治っているんだろうか…。
エステルがいたから大丈夫だとは思うが、…あの瞬間。
オレは一気に血の気が引いた。
フレンの血が、オレの手を染めて…。
腹貫かれて、片目を失ってでも、オレを助けようとしてくれて…。
でもオレは、お前を失う事の方が辛い。
辛いんだ…。
フレンを失うかもしれない。
その事実がオレには何よりも恐怖だった。
何時の間にオレは、こんなにお前に依存してたんだ?
『ユーリ…』
…こんなにお前の笑顔をみたいと思うんだ?
思い出すお前の顔。それだけで何でこんなに泣きたくなる?
…やっぱりこれってオレがフレンの事が好きだって事なんだろうな…。
いっそ認めてしまえば、すっきりした。
ゆっくりと閉じていた目を開く。
すると、闇だけだと思っていたその場所に少しの光が入っており、目の前に偽フレンの姿があった。
『……来た』
何が来たってんだ?
首を傾げるていながらも、直ぐに気付いた。
来たんだろう。皆が。
…フレンが。
そうか。やっぱり、無事だったのか。
「だったら、ここまで直ぐ来るだろうな。よっと」
刀を杖代わりに立ち上がると、軽く伸びをする。
…そうだ。
これ、落とすとやばいよな。
でも、オレの服、ポケット無いし。
……そうだ。さらしと胸の間にでも挟んで置くかな?
これだけは落とす訳にはいかないからな。
フレンの目だけは。
『どうしてだ…?』
「あん?」
『……アルテミス…。どうして、あいつと一緒に…?』
「おい?どうした?」
『確かに殺した筈なのに…。エアルも全て吸収した筈で聖核も消滅させた筈なのに、何故だ?』
偽フレンの目が赤く光る。
しかも、殺した?どういう事だ?
明らかにコイツが動揺しているのが分かる。
その証拠に闇が大きく揺らいでいた。
何か嫌な予感がする。
刀を握る手に力が籠った。
一先ず、話しかけて収まらないか試してみる。それで無理なら力技だ。
けど、力技って言ったって、コイツの中にいるこの状況。
勝てる可能性は高くは無い。寧ろゼロに近いな。
『…アルテミスは、……また、あいつを…』
「おい、お前」
偽フレンがオレを見た瞬間、オレはしてはいけない事をしてしまったらしい。
その目を見た時、無意識に一歩後退して少し開いた距離を一気に縮め、偽フレンはオレの肩を掴み、その勢いのまま押し倒される。
「ッ!?」
『………』
「てめっ!?何しやがるっ!!」
手にしていた刀で、目の前の偽フレンを斬り付ける。
しかし、刀は偽フレンをすり抜けて行く。
幾ら攻撃をしても、全てすり抜ける。
もともと闇ってのは実体がない。
これは偽フレンの幻影を見せてるに変わりない。
どういう仕組かは分からない。
けど、偽フレンの手はオレの頬を撫でる。
『…アルテミスを連れて来ればとは言った…。だが、あいつは必要ない』
「あいつ?…誰の事だ?ちょ、止めろっ!!」
手がオレの服の開かれた部分から入りこむ。
『アルテミスは、私のモノだ。私の』
「オレはアルテミスじゃねぇっ!!」
『知っている。…だが、あの『鳥』を殺すには力がいるっ!!』
「何勝手な事言ってっ、んぐっ!?」
口に偽フレンの唇がぶつかる。
でもキスって感じがしない。
今コイツは完全に闇で、口の中に何かを無理矢理突っ込まされて飲み込まされているような。でも、飲み込まされていると同時に体から力が抜かれて行っている様な…兎に角、気持ちが悪い。
何とか、離れねぇとっ。
だが、払いのけようとする腕ですらすり抜ける。
なのに体を這う手の感触は分かるのは何でだっ?
嫌で嫌で堪らないっ。
どうにか反抗しようと、辺りに視線を巡らせた、その時。
バァンッ!!
何かが力一杯叩かれる音がして、音がした方に顔を向けるとそこには…。
「フレ、ン…?」
闇が何らかの力を受けて、力が弱まっているのか、オレとフレンを隔てたガラスの壁が見えて、その向こうにフレンの姿が見える。
フレンが何か叫んで、壁を只管叩いている。
見慣れた金色…。眼帯…『フレン』の『目』っ!?
無意識に動いていた。
フレンに目を返さないとっ。
いつの間にか解放された体で、急いでガラスの壁に走り寄る。
「フレンっ!!」
ガラスの壁の向こうで、フレンがオレを見て愕然としていた。
何で?
フレンとまた会えただけで、フレンが無事だっただけでこんなにオレは…。
バァンッ!!
再び拳が壁を殴る。
何でそんなに泣きそうな顔してるんだよ?
オレは無事だろ?
お前が助けに来てくれたんだから…。
叩き付けた拳をガラス越しにそっと触れる。
「大丈夫だ…。フレン、オレはまだ大丈夫だから…」
だから…、そんな顔するな。
フレンを落ち着かせる様に微笑む。
すると、フレンはまた苦しそうにオレを見た。
「フレン…」
オレの呟きは、まるでフレンには届かないとでも言うかのように洞窟内に反響する。
こんなに近くにいるのに、オレの声は届かない…。
でも、届く事は無いと分かっていても、オレはフレンの名を呼び続けた…。



