硝子の壁
【3】
エレアルーミン石英林に僕達は向かっていた。
バウルに頼むとあっという間だ。空の旅は本当に速い。
…昨日のグレースが攫われた後から僕は言い様のない不安に心をかられていた。
いや。…理由が分からない訳じゃない。
理由が分かっているからこそ、こんなにも不安で胸騒ぎが止まらない。
そんな不安を忘れる様にぼんやりと甲板から流れる景色を眺めていると後ろから足音がした。
「なーに、黄昏てんだよ」
声をかけられ振り向くと、そこには何時もの様にニヤリと笑うユーリがいた。
それにつられる様に笑うと、ユーリは僕の横に立ち、船の縁に背中を預け、空を見上げた。
「おー…いーい天気だなー」
「うん。…そうだね」
「…って、お前空見てねぇじゃん」
楽しげに笑うユーリを見ていると更に胸騒ぎが大きくなって、僕は思わずユーリを抱きしめていた。
僕の突然の行動に驚いてはいたけれど、直ぐにユーリは僕を抱きしめ返してくれる。
「なんだよ、どうした?」
「…ユーリ、今からでも遅くない。…君だけでも引き返してくれ」
「は?何言ってんだよ」
「…今まで攫われてきた女性達に共通点がもう一つある。それは…」
「…『黒い長髪』…だろ?」
「―――っ!?、ユーリ、知っていたのかっ」
驚きを隠せずに聞くと、やはりユーリは笑って「当たり前だろ」と答えた。
でも、知っていたのなら、なんでっ?
その問いをする前にユーリは僕の胸を押し離れると、真剣な顔つきになり僕を見据え口を開いた。
「依頼されたからだ。それに、これはオレの勘に過ぎねぇけど…多分、この事件はオレを狙っての犯行だ」
「…君、を?」
「あぁ。…アイツ等は気付いていないみたいだが、皆依頼主だったり、立ちよった宿の店員だったり何だかんだで一度話をしている人間ばかりだ」
ユーリが狙われている?
一瞬何を言われているか理解出来なかった。けど、頭がそれを理解した瞬間、不安も胸騒ぎも最大級に膨れ上がった。
「…だったら…、だったら尚更君を行かせる訳にはいかないっ!!ユーリっ!!君を何処かで降ろして貰えるようにジュディスに」
頼みに行くと最後まで言う事は出来なかった。
僕の唇をユーリが己の唇で塞いだから…。
やっぱり突然の事に驚いたけれど、嫌な感じはしなかった。ユーリとのキスを僕は素直に受け入れる。
ユーリの手が僕の首へと回された。僕もユーリを腕の中に閉じ込めようと腰にまわした腕の力を強くする。
触れただけのキス。それが何だか寂しくて、僕はユーリの唇を舌で開くとその奥にある舌を絡め取った。
「んっ…、ン、んんッ…」
ユーリの舌を暫く堪能して、僕はそっと唇を離しユーリを解放した。
ほんのりと赤くなった顔が可愛くて、その頬へとキスをすると、ユーリは恥ずかしいのかぐいーっと僕の顔を押しやった。
「…お、落ち着けよ。ってか、オレがお前を落ち着かせる為にチュウしたのに何でお前が主導権握ってんだ」
「…ユーリが可愛い事するのが悪い」
「か、可愛くないっ。オレが可愛いとか目悪くなったんじゃねぇか?」
目元を真っ赤にしたまま顔を逸らすユーリが可愛い。
そもそも目が悪くなったなんてある訳ない。
だって、僕はユーリの事をそれこそ自我が芽生える前からずっと好きだったんだ。
何時も前だけを向いている瞳。風に靡く黒い艶やかな髪。そして、何より何事にも曲げられる事のないその強い意志が宿った心。
全てにおいて僕を捕えて離さない。
この気持ちをユーリに伝えた事はない。伝えたとしても、きっとユーリが僕から離れて行くだろう事は分かっていたから。
けれど、ユーリの中にも僕と似たり寄ったりの感情があるのだろう。
でなければ、キスなんてする訳がないんだ。
僕が抱きしめている腕に力を込める。今度はユーリはそれに抗う事無く、いつもの信念の宿った瞳で僕の目を見た。
「兎に角、オレは一緒に行くからな」
ユーリのその瞳に僕が抗える筈もなし、言った所でユーリは歩いてでもついてくるに決まっている。だったら…。
「…分かった。そのかわり無茶だけはしないでくれ」
「お前もな。無理すんなよ」
互いに額をくっつけて笑う。そして今交わした言葉を誓い合う様にもう一度キスをした。
けれど、僕の不安は消える事は無く、ユーリを抱きしめている今ですらそれは僕の心を支配した。
初めてしたユーリとのキス。それがまた一層胸騒ぎを増長させる。
どうしてだろう…。こんなにユーリは近くにいるのに、それが酷く心をかき乱す。
「…フレン?」
不思議そうに僕を見るユーリ。
僕の腕はより一層ユーリを閉じ込めようと力が入っていった。
そうこうしている間に、気付けばエレアルーミン石英林に辿り着いていた。
…以前来た時と変わらない。
水晶の洞窟が太陽の光を反射して虹色に輝いている。
「以前と変わった様子は無いわね」
「だな」
ジュディスとユーリが先頭に立ち入り口で足を止めていた。
僕も辺りを見渡す。
確かに以前皆と来た時と何も変化がない。
そもそも、ここにはそれこそバウルとか空を飛ぶ手段がない限り来れない。
船で乗り上げようとしても囲う様にある水晶で泊める事が出来ないから。
だから変わりようがないんだ。
ユーリとジュディスが歩き出し中へ進む。その後ろをエステリーゼ様とパティ、カロル、リタと続き、最後を僕とラピードがついて行く。
勝手知ったるなんとやら。
皆道に沿いながらどんどん奥へと進むが特に変化は見られない。
危険な事はない。魔物だって以前と違い僕達をみると逃げて行く。
なのに、なんで…こんなに胸騒ぎが…止まらないんだろう…。
ふと皆の足が止まった。
ここはユーリ達曰く、以前グシオス、現在の精霊ノームが生まれた場所。
湖の様に水が貯まっておりその水が水晶の光を反射して輝いている。
だが…それ以外にかわった所は特にない。
どうする?引き返そうか?
誰かがそう言葉にする前にカロルが何かを発見した。
「あれ、なんだろう?」
カロルが指さした先。
その先には、小さなそれこそラピード位じゃないと入れなさそうな穴が開いていた。
湖の向こう側。
「…確かに、何か通り抜けできる穴があるの」
「でも、あの大きさだとラピードがやっとって所じゃないかしら?」
「まぁ、行ってみる価値はありそうじゃない」
新たな発見を前にリタの目は輝いている。
それに逆らうような命知らずは、ここにはおらず、じゃあと皆湖に入り泳いでその穴へと向かう。
水嫌いなラピードも素直にそれに従い皆でその穴へと真っ直ぐに泳ぎ、その前で立ち泳ぎをして穴をマジマジと見つめた。
…どうやら、ラピードしか入れないって事はなさそうだ。
湖に隠れて見えなかっただけで、水面の方にも大きな穴があいている。
「…ふぅん…。どうする、カロル」
「も、勿論、行くよっ!!」
「…そうですね。息が出来ない訳でもありませんし、いざとなったらウンディーネに頼むとして、行ってみましょう」
エステリーゼ様の言葉に僕は素直に頷く事が出来なかった。
嫌な予感がするのだ。
この奥には何かある。
そう感じさせる予感が…。
僕は思わず、ユーリの腕を引いた。
突然の事に驚くユーリにも構わず、ユーリを引き連れ来た道を戻ろうとする。
「お、おいっ。フレンっ!?」
ユーリの声に答えなかった。答えたらその予感が本当の事になってしまいそうで怖かった。
ざぶざぶと水を掻き分ける音だけが僕の耳に入ってくる。
「フレンっ!!」
けれど、ユーリが怒った様に呼ぶから、僕は振り返りユーリの目を真正面から受け止めた。
「離せ」
「…駄目だ。君はこのままあっちの陸で待ってろ」
「何だよ、それっ!!お前さっきは良いっていったじゃねぇかっ!!」
「言った。…けど、やっぱり駄目だっ!!君は戻っていてくれ…頼むから」
声が掠れていた。そんな僕にユーリはゆっくり首を振った。
「これはオレ達が依頼された案件だ。…だから、お前のその願いは聞けねぇ」
「ユーリっ!!」
僕の声はユーリに届いていなかった。
もう、覚悟を決めた目をしていた。こうなったら何を言っても無駄な事を僕は知っている。
けど…だけどっ。
「…胸騒ぎが、するんだ…」
絞り出す様に出した言葉にユーリは目を丸くした。
「ずっと、この事件の話を聞いてから。全然収まらないっ。ずっと、ずっとざわざわと気持ちが落ち着かないんだっ。だからっ」
「……ったく、ほんっとお前は心配性だな」
ユーリはやんわりと僕の手から自分の腕を解放すると、僕の両頬を両手で包み笑った。
「大丈夫だって。オレが強いのしってんだろ?…それに、皆もいるし、お前もいる。敵なんていねぇよ」
いつもの不敵の笑み。ユーリらしい笑みだけど。それでも…。
何とかユーリをここに残す事が出来ないかと最後の抵抗を試みるも。
「フレン、大丈夫ですよ。ユーリは強いですから」
「そうそう。いざとなったら僕達もいるしねっ」
「のじゃっ!!ユーリはウチが守るのじゃっ!!」
「…ってゆーか、そいつがそんな軟な訳ないでしょ。いいから行くわよ。行くんでしょ」
「フレン」
ジュディスに名を呼ばれそちらに視線を送るとジュディスは微笑み、けれど眼だけは真剣な眼差しで。
「…私達を信用出来ないのかしら?」
真っ直ぐに言葉をぶつけられ、僕はユーリが共に行く事を認めるしかなくなった。
再び僕達は、奥へと進み始める。
せめてもと、僕はラピードと共に先頭を切って進み始める。水面から顔を出しながら、辺りを警戒しつつ奥へと進むと段々と暗くなっていく。
当然だ。明かりが入らないのだから。
ある程度進んだら点呼をとり、全員がいる事を確認する。
それを何度も繰り返し、進んでいると手に何かがぶつかる。これは…陸地か?
しかし、明かりがないのだから何とも…。
考え込んでいると、後ろからユーリが声をかけてきた。
「どうした?」
「いや、どうやら上に上がれる場所があるみたいなんだが、明かりがないから何とも…」
「むむ?明かりが欲しいのか?…どれ」
僕達の会話を聞いていたパティがゴソゴソと探る音がする。そして。
「お、あったのじゃ。う〜んと…、……こうじゃっ」
一体何をしているんだろうと声に出す間もなく、一瞬大きな光を放ったかと思うと、辺りが一気に明るくなる。
光に目が慣れるまで暫くかかるも、視界が開けて周りを見る余裕が出る。
すると、やはり目の前にあるのは陸地のようだ。僕達は皆そこへ上がる。
奥の方にはまだ道が続いていて、あちらには先程まで僕達がいた闇が広がっている。
そうだ、闇と言えば。思い立って上を見上げる。
「あれは…?」
「リタ姐が作った簡易ランプじゃ」
「ランプ?あれが?」
どう見ても、ランプには見えず、ただのゼリー状の塊にしか見えない。
それが天井にある水晶に張り付いている。
「あんた、あれ、まだ持ってたの?」
「うむ。使う機会が中々無かったからの。今回使えるかと思って帽子の中に仕込んでおいたのじゃ」
リタが僕に並び天井を見上げ、ブツブツと呟いている。
「あれは一体どんな原理で…?」
「火のマナを練り込んであるのよ。だから、何処かにぶつけた拍子にマナが小さな破裂を起こして、火を起こし明かりの変わりをしてくれるの。周りのゼリーを燃料にしてね」
「…成程。面白いね。それにその火のマナの所為だろうか。暖かい」
「火だからね。暫く持つから服を乾かす意味も込めて少しここで休憩しましょ」
「って、お前が疲れただけだろ」
ユーリの突っ込みがリタに入り皆が笑うけれど、リタは真っ赤になって拗ねてしまった。
しかし、それをエステリーゼ様が宥める。これももう日常茶飯事だ。
だが、皆リタの意見に異論は無い。丁度広いスペースになっているし、皆服を絞ったりと各々休憩をとった。
リタの発明したランプは、本当に便利であっという間に服が渇き、体が暖かさを取り戻したお陰で体力も直ぐに戻って来た。
パティが作ったおでんを食べ、お腹も満たされると誰が口にする事もなく、また全員で歩き出す。
今回は、リタが休憩がてら即席で作ったランプを片手に歩く。
こうなると明かりは意外と重要だと言う事が分かる。安心感を与えるのかもしれない。
小さなランプの明かりを水晶が反射して明かりを更に大きくする。
…だが。
僕は違和感を覚えた。
大分歩いて来た。それは確かだ。そして、その所為で周りが暗くなってきたのも可笑しくは無い。
むしろ当然だ。ランプの燃料の消費と比例しているのだから。
当然なんだ。…だけど。何かがおかしい。
それが気になって足を止めた。
先頭の僕が足を止める事によって皆の歩みも当然止まる。
「…フレン?」
後ろにいたカロルが声をかける。
けれど、僕はそれに答えず辺りを見渡す。
なんだろう…この違和感。
これは…一体…?
ふと、今までの事件の概要を思い出す。
『女性失踪事件』
『――影が攫って行ったんだっ!!』
『――――闇がグレースを飲み込んでっ!!』
「―――っ!!」
そうだっ!!闇だっ!!
ばっと周囲を見渡す。
すると周囲の水晶はさっきまで光を反射していた筈なのに、全く光を纏っていない。
今、ここに明かりをもたらしているのは、このランプの明かりだけだっ!!
「リタっ!」
「分かってるっ!!」
疑問に思っていたのは僕だけではなかったらしい。
流石天才魔導士と言われるだけの事はある。
リタは直ぐに詠唱をすると、大きな火の玉を作り出し辺りに浮上させる。
すると、そこには声を失いたくなる様な光景があった。
「…なに、これっ…?」
ぼそりと呟くカロルの声で皆がはっと我に帰る。
そこには、水晶に閉じ込められた女性たちの姿があった。
一人ひとり隔離するように、水晶の中でただ穏やかに眠っている。
その姿がまるで人ではないみたいで、…そう、まるで人形だ。凄く精密な…生きている感じがしない。
「これ、皆攫われて行った女性達じゃない?」
「のじゃ。……凄い数なのじゃ」
「…酷いですっ、こんなっ…」
「と、とにかく助けようよっ!!」
「だなっ!!嘆くのは後でもいいだろっ!!」
「確かに。そうだなっ」
「わうっ!!」
僕達が水晶を壊そうとするとリタが待ったをかけた。
何故と聞く前に、リタは水晶に走り寄る。すると、いつもの解析画面を現出させ、急ぎ解析を始めた。
「今、この水晶を分析するからちょっと待ってっ。下手すると一緒に壊れちゃう可能性もあるわっ。出来る限り急ぐから皆は水晶がどれだけあるか、場所と人数の確認をっ」
僕達は頷き一斉に動き出す。
念の為と思い持って来ていた被害者の名簿をエステリーゼ様へと預け、リタが一人残る事は危険な為、エステリーゼ様をリタの護衛にして、走り回る。
水晶に閉じ込められた人を見れば見るほど、僕は不安になる。
皆黒髪の女性だらけだ。
それも、皆何処かユーリに似ている。
ユーリがこんな風に閉じ込められるのかと思うと、僕はいてもたってもいられず、早くこの場からユーリを遠ざけたいと走る足を速めた。
全員が探し見つけられるものを見つけ報告をすると、どうやらこんなにいても半分だったようだ。
けれど、不幸中の幸いと言うのだろうか。リタは何とか水晶を壊す方法を発見し、それを実行した。
…しかし。
女性達を助けようとリタが術を発動した瞬間。
―――バリンッ。
「えっ!?」
―――バリバリバリバリッ!!
水晶に亀裂が走り、砕けて行く。
中には女性達が入っていると言うのに、まるで水晶そのものの様に亀裂から粉々に砕けて地面に散る。
ほんの一瞬だった。
けれど、そのほんの一瞬で―――そこにあった全ての水晶が欠片となって地面に山を作った。
「……うそ、…でしょ?」
一番ショックが大きかったリタの震える声だけがその場に響いた。
ふらつきながら一歩二歩と近寄りその砕けてしまった欠片に触れる。
それは本当にただの水晶の欠片で…。けれど、
「いやっ!!いやあああああっ!!」
「リタっ!?」
リタが持っていた欠片を覗き、急に震え叫ぶ。
その尋常じゃない反応にエステリーゼ様が直ぐに反応し、リタに走り寄る。
「あ、アタシ、がっ!!アタシ、人をっ!!」
「リタっ!落ち着いてっ!!リタっ!!」
エステリーゼ様の声すら届いていない様子のリタを横目にユーリがその足元の水晶を拾い、僕達の方へ持ってきた。
「…なるほどな。これじゃあリタが泣き叫んでも仕方ねぇか」
その原因を見てユーリが呟く。僕達も一緒になって覗くと、そこには人の『目』が中に入っていた。
正しくは顔の一部分とでも言ったらいいのだろうか。中に入っていた人ごと水晶が割れた。そう言う事だ。
決して気分のいいものではなかった。
ましてやきっかけがリタの術なのだとしたら、リタが耐え切れなくなったとしても仕方ない。
ユーリは一瞬何か考え、直ぐにリタへと向き直るとリタの方へ歩み寄った。
エステリーゼ様に抱き締められ、震えるリタの背をポンポンと叩く。
「……リタ…。これはお前が失敗した訳じゃねぇ。…考えても見ろよ。人が水晶に入って生きていられる訳ねぇだろ?」
「ユーリ…」
「お前の所為じゃない。大丈夫だ。お前は悪くない」
何度も何度も子供に親が言い聞かす様にユーリはリタの背を優しく叩き言い続けた。
そんなユーリの姿に僕は、ただただ見惚れていた…。



