硝子の壁





【5】



―――ボチャンッ!!

湖に叩き落とされる。
けれど、僕が今気にすべき事はそれじゃないっ!!
慌てて水面に顔を出し、ユーリの姿を探す。

…そこで、僕が見たものは。


―――闇に姿を呑まれて行くユーリの姿だった。


「ユーリっ!!」

いてもたってもいられず、陸に上がり、ユーリに手を伸ばす。

「フレン、逃げ、ろっ!!」

闇に少しずつ姿を奪われても尚僕に逃げろと言う。そんなの…。

「そんなの訊ける訳がないだろっ!!ユーリ、手を伸ばせっ!!」

僕の言葉にユーリが一瞬泣きそうな顔をして、でもその手を伸ばしてくる。
僕は必死にその手を握り、闇から引きずり出そうとした。
しかし、出て来るどころか、僕まで闇に浸食され始めた。
全身が震えていた。
闇に呑まれる事が怖いんじゃない。…こんな事恐怖でも何でもない。
ユーリを失う事。
そっちの方が何倍も怖いっ!!
ぐっと手に力が入る。
だが、力が増す僕とは反対にユーリの力は何故か抜けて行った。

「ユーリっ、もっと力入れろっ!」
「…もう、いい。フレン、放せ」
「何言ってるんだ!!いいから力入れろっ!!」
「……フレン」
「入れろっ!!」
「フレンっ」

一瞬の沈黙。
ユーリの顔を見つめる。
その表情を、僕は認めたくなかった…。
ナイレン隊長と同じ…諦めた瞳だ。
認めたくない…。
……いや、違う。認めたらいけないんだっ!!
ここで認めてしまったら、僕はユーリを失ってしまうっ。

「……認めない。…君は絶対に助けるっ!」

腕に更に力を込めてユーリをひっぱり上げる。
すると少し闇が離れて行く。

「…フレン」
「頼むから、僕の手を握り返してくれっ。ユーリっ」

泣きそうだった。
ユーリに死んでほしくない。
ユーリを失いたくない。
ただ、それだけだ。
…ユーリは、笑った。
こんな状況なのに、ユーリはただ嬉しそうに微笑んだ。

「……フレン」
「ユーリ…」
「…サンキュ、な?」
「何言って…?」

ニヤリとユーリが何時もの笑みを見せ、僕の手を握る力が戻った。
ユーリが諦めないでくれた。生きる意志を持った。
これならっ!
僕がユーリを引き摺りだそうとした、その時だった。

―――ドスッ。

鈍い音が聞こえ…腹部がじんわりと熱くなる。
何かが喉を通り、込み上げ吐き出す。
それは僕とユーリの手を深紅に染めた。

「……くっ……かはっ」
「フレンっ!!」

ユーリの声がする。
そうだ、ユーリを助けなきゃ…。
倒れそうになる足を踏ん張り、手に力を込めるが、何でだろう…上手く力が入らない。

「フレン、フレンっ!!」

ユーリの手が暖かく感じる。
泣きそうなユーリの声。
ゆっくりとユーリと顔を見合わせると、泣きそうなではなく、実際ユーリの頬には涙が伝っていた。
あぁ…。ユーリの泣き顔見たの何年振りかな…?

「駄目だ、しっかりしろっ!!クソっ!!離せっ!!」

闇の中もがく。しかし闇はユーリを捕えて、僕からユーリを切り離す。
ユーリ…。
片手で腹部に触れると、べったりと自分の血で汚れていて、そこで漸く僕は闇に腹部を貫かれたのだと認識した。

「…ユー、リ…」
「フレン、離すなよっ!!この手、絶対に離すなっ!!」
「ははっ…、さっ、きと、言って、る事、が違う、よ…」
「馬鹿っ!!ンな事言ってる場合かよっ!!」
「大丈、夫、離さな、いよ……」

離さない。
絶対に…。
さっきみたいな後悔はしたくないから…。
それに…ユーリをこれ以上泣かせたくないから…。
出血し過ぎて頭がふらふらする。
それでも、僕は手を離さなかった。
けれど、もう僕には周りを警戒するだけの力は残っていない。

「フレンっ!!」

ユーリが再度の攻撃に気付き声を上げる。
でも、僕はそれに反応する事が出来なかった。
もう一撃来るっ。
覚悟を決めようとした。だが…。

「止めろっ!!」

攻撃はユーリの言葉に遮られた。

「お前の狙いはオレなんだろっ!!だったらオレに攻撃しろっ!!フレンに、手を出すなっ!!」
「…ユーリ…、な、にを…」
「…ちょっとの間、手ぇ離すぜ?、フレン…絶対、助けに来いよ?」

手に与えられた熱が遠ざかる。
信じられないユーリの行動に、驚く。
けれど、ユーリは微笑んだ。

「な、んで…?ユー、リ…」

目の前にユーリと僕を隔てる壁が瞬時に作られる。
水晶のような硝子の壁。
その壁の先でユーリは微笑んで立っていた。
さっきまで見えなかった姿が…全身が見える。

「ユーリっ!!」

痛みなんて忘れていた。
壁を叩く。
僕とユーリを隔てる壁を。
何度も何度も…。
壊れるまで何回だって、叩き続ける。
僕の手は壁を叩く衝撃に耐えきれず、血を流し始める。
そんなこと、構わなかった。
今こうしてユーリの存在を失う事に比べれば、こんなの痛みとも思わないっ。
一枚の硝子の壁の向こう側でユーリの姿が少しずつ闇に呑まれて行く。
まるで僕に見せつけるかのように。

「ユーリっ!!」

ユーリの姿が、消える瞬間。ゆっくりとユーリの唇が動いた。

―――『…待ってる』

その言葉を残して、ユーリは完全に闇と一つになった。

「ユーリ…、ユーリっ!!」

叫んでも答えは無い。
あるのは目の前の壁と、全てを覆い尽くす闇…。
ユーリの姿は完全に失われた…。
闇の中にいるのに、最初から光なんてなかったのに、まるで光を失ったみたいで…。
絶望に膝が折れる…。
もう反応のない壁を叩く。
その度に、ユーリが失われた事を思い知らされ…そして。
僕は…。


―――泣いた。

「う……うああああああああああっ!!!!!」

壁に縋り、僕は泣き叫び…―――そのまま意識を失った。