硝子の壁





【6】



夢を、見ていた…。
小さい時の、ユーリと一緒に遊んでいた頃の夢…。
どんな時も前だけを向いて歩くユーリを僕は何時も尊敬していた。
ユーリは強い。
どんな事があっても諦めたりしなかった。
そんなユーリの横に立てることが誇らしかった。
手を繋いで駆けまわって、一緒に笑って…。
僕達は下町の側にある花畑で毎日の様に転がり遊んで…見つめ合って笑うんだ。
そして帰り際、ユーリはいっつも言うんだ。

『…フレン、サンキュ、な』

微笑んで…。
その笑顔が大好きで…。
僕はユーリを愛してて…。
なのに、どうしてだろう…?
今、僕が思い出せるのは、ユーリの傷付いた顔で…。
笑って欲しいのに、ユーリは泣いている。
側に行って抱きしめたいのに、大丈夫だよって笑って安心させたいのに。
何故か近づけない。
寧ろユーリはどんどん遠ざかっていく。
離れたくないのに。必死に追いかけるのにユーリは僕から離れて行く。

「待ってっ!!ユーリ、待ってくれっ!!」

叫んでも届かない。
互いに幼かった姿が成長して行き、今の姿になって歩幅も変わっている筈なのに、全然追いつけない。
そして、ユーリが見えなくなる寸前に振り返り、―――言った。

『……待ってる』

ユーリの姿は消えた。
違うっ…。
違うんだっ、ユーリっ!!
僕は君と離れる事なんて望んでないんだっ!!

「ユーリっ!!」

叫んだ自分の声で僕は…目を覚ました。

…知らない天井だった。
そして、心配そうに僕を覗きこむ、桃色の髪。

「良かった…、フレン…」

エステリーゼ様の目は涙で濡れていた。
一体何が起こったのか、理解出来ず、視線だけを彷徨わせると、エステリーゼ様の隣にカロルが僕の寝ているベットで、僕を看病している間に寝てしまったのだろう。
椅子に座ったまま、ベットに突っ伏して寝ている。更に二人の奥の方でリタにジュディス、パティにレイヴンさんが話し込んでおり、難しい顔をしている。
そして、反対のベット脇でラピードが丸くなって寝ていた。
…ユーリは…?
そこにいない人物の事を不思議に思った時、僕は全てを思い出した。

「ユーリっ!!」

体が痛む事を忘れ、上半身を叩き起こす。

「フレン、いけませんっ!!起きては傷が開きますっ!!」

エステリーゼ様が慌てて僕を止めるが、僕は構ってなんていられなかった。
ベットから足を降ろし、気合いで立ち上がる。だが…。
やはり腹を貫かれたダメージは大きかった。バランスを崩し、床へと膝をつく。
例え体がどんな状況にあろうとも、こんな簡単にバランスを崩す筈がない…。
そこで漸く視界がおかしいの事に気付いた。
ふと手を左手に持って行くと、そこには治療の後。要するに包帯が巻き付けられていた。
そう言えば、僕はユーリを助ける為に…。
目を斬られたんだった…。

「フレン、ベットに戻りましょう…?、体を癒さないと…」
「そんな暇はありませんっ。ユーリを助けに行かないと…」

そうだ。ユーリを助けに行かなければ。
ここは、一体どこなんだ…?

「エステリーゼ様、ここは…何処ですか?」
「ここは、オルニオンの街です」
「オルニオンっ!?何故、そんな遠くにっ!?」

そんなに遠くてはユーリを直ぐに助けに行く事が出来ないっ。
兎に角、まずはエレアルーミンに渡らなくては…。
僕は、ふらつきながらも、ユーリを助けたい一心で足を奮い立たせ、立ち上がり、ドアへと歩いて行こうと一歩を踏み出した、その時。
エステリーゼ様が僕の前に両手を広げ立ち塞がった。

「…エステリーゼ、様?」
「行かせません」
「どいて、いただけませんか?」
「……駄目です。フレンに今必要なのは療養ですっ」

凄く優しい言葉だった。
けれど、今はその言葉は酷く僕の神経を逆なでした。
今の僕には療養をしている時間なんてない。
だって、今こうしている間にも、ユーリは闇に殺される可能性だってあるんだ。
下手したらもう死んでいる可能性だって…。
それなのに療養なんて出来る訳がないっ。

「……ユーリが、待ってるんです…。エステリーゼ様」

そうだ。ユーリは『待ってる』って言ったんだ。
だから、僕が迎えに行かないと…。

「それでも、ユーリならそんな大怪我をしたフレンに助けに来て欲しいなんて思ってなんていない筈ですっ!!」
「そうよっ。あ、あんたは自分の体だけ心配してたらいいのよ」
「それに、あのユーリだもん。強いし大丈夫だよっ」

エステリーゼ様を助ける様にリタとカロルが言葉を重ねる。
大怪我をした僕に助けて欲しいなんて思っていない…?
―――ユーリが大怪我していない保障でもあるのか?
僕は自分の体だけを…?
―――じゃあ、ユーリの体の心配は?
強いし、大丈夫…?

「そんなの、…分からない」
「え?」
「……君達に、…何が分かる…?」

辛かった…。
辛くて、苦しかった…。
誰も、知らないのに…。さも、当然の様に語るユーリの仲間達に僕は、腹が立ったんだ。
だから、気付いた時にはもう、僕自身にも僕の怒りを納める事は出来なかった。

「君達に何が分かるって言うんだっ!!」

頬を伝う暖かい雫に僕は泣いている事に気付く。
これはもう…無意識だった。

「何も、何も知らない癖にっ!!」
「し、知ってるよっ!!僕達仲間だもんっ!!」

知っている…?

「ユーリが…」

「ユーリが『女』だって事も知らないでっ!!ユーリのっ、彼女の何を知っているって言うんだっ!!」

皆の目が丸くなった。
あの驚きを滅多に顔に出さないジュディスまで。
それでも、僕の怒りは収まりそうになかった。

「君たちは知っているのかっ!?ユーリがどんなに、……どんなにっ……くっ」
「……フレン」

どんなに―――虚勢を張っていたか。
どんなに―――涙を飲み込んだのか。

あの細い体でどれほどの覚悟を受け入れて来たのか。

僕は皆を真っ直ぐ向き合うと、誰も動けなかった。これできっと誰も僕を止めないだろう。
僕は再び痛みが走る体を引き摺り、ドアへと近付く。
すると、ジュディスがドアの前に立ちふさがった。

「…ジュディス…」
「何処へ行くの?」
「…ユーリを助けに」
「そんな体で?」
「あぁ。どんな体でどんな状況であろうとも、ユーリは僕を待っている。だから、……どいてくれ」

ユーリが今、どんな状況なのか、分からない。
けれど、僕がユーリを助けたい事に変わりは無い。
僕がジュディスを真っ直ぐ見据えて言うと、ジュディスは諦めた様に道を譲ってくれた。
しかし…。

「フレン…。貴方、どうやってあそこまで行くのかしら?」

ジュディスの最後の引き留めなのかもしれない。けど。そんなものは何の引き留めにもならない。

「…手段ならいくらでも、ある。ないなら、作って見せる…」
「……そう」

僕はドアノブに手をかけた。しかし、それまで傍観を決め込んでいたレイヴンさんが僕に近付き肩をぽんっと優しく叩いた。

「…青年が、女だって、知らんかったわ」
「…でも、事実です」

だから、今彼女を一人にさせたくない。
言外にそう含みを持たせる。
するとレイヴンさんは一瞬呆れたように笑うと。

「怪我人に手を出すのは気が引けるが、フレン、歯ァ、食い縛んなっ」
「えっ!?」

驚くより先に頬に衝撃が来た。
そのまま勢い良く飛ばされて、ドアに体を打ちつける。
頬がじんわりと痛み、口の中には鉄の味。どうやら殴られて口の中も切れたみたいだった。
何が起こったのか、理解出来ずにレイヴンさんを見ると、いつものお茶らけた顔でなく、シュヴァーン隊長の顔で言った。

「…お前一人が行って何が出来る?そんな体で、そんな目で」
「そ、れは…」
「逸る気持ちは分かるが、お前に出来る事はまず傷を治す事だ。…冷静な頭をしていたら分かる事だ」
「でもっ!!」

「フレンっ!!」

びくっと体が震えた。
…レイヴンさんの言う事は全て正しかったから…。

「フレン・シ―フォ。私シュヴァーン・オルトレイン隊長主席が命令する。しばらく、ここオルニオンにて謹慎を言い渡すっ」
「なっ!?」

言葉を失った僕を後目にレイヴンさんは部屋を出て行ってしまった。
外からの声で、しっかりと見張りの騎士をつけられてしまう。
すると、パティがゆっくりと僕に手を差し伸べて笑った。

「…心配なのは皆同じなのじゃ。ウチも、ユーリが女と知って驚いたが、それが何なのじゃ。女でも男でもユーリは強い。それを一番知っているのはフレン、お前じゃろう?」
「パティ…」
「そ、そうだよねっ!女でも男でもユーリはユーリだもんっ!!」
「カロル…」

悔しい。
こんなにも無力な自分が。
レイヴンさんに言われて、逆らう事すら出来ない自分が、悔しくて…。

―――涙が溢れる…。

そっと、足に何かがすり付いた。

「…くぅ〜ん…」
「ラピー、ド……」

僕は泣き崩れる様に膝をつくと、慰める様にすり寄ってくれるラピードをきつく抱きしめた。


ラピードは僕が泣き止む迄ずっと、僕の涙を拭ってくれていた…。