硝子の壁





【7】



僕がどれほど冷静さを欠いていたか。
今こうやってベットで横になり、目を閉じるとそれが良く分かる。

(本当に、レイヴンさんの言う通りだ。こんな怪我でアイツと戦って勝てる訳がない。僕達が皆が万全では無いにしても、挑んで互角だったんだ。今僕が行っても勝てない)

それは、分かる。
分かるけれど、感情がついて行かない。
ユーリがあの闇の中で一人いるかと思うと、どうして心配しないでいられるだろう。
自分が最も愛おしいと思う人間をどうして想わずにいられる?

(まただ…。また、僕は自分の無力さを思い知らされる…)

ぐっと拳を握りしめる。
すると、その拳にざらりした何かが触れた。
不思議に思って目を開くと、そこにはラピードが心配そうな顔をして僕を見ている。
僕はそれに何処か安心して微笑んだ。

「…ありがとう、ラピード」

手を動かしてラピードの頭を撫でた。
相変わらずふわふわだ。
ちょっと癒される。
何度も何度も撫でていると、怪我の所為かふと眠気がやってくる。
…いっそ少し寝てしまおうか…。
そう考えていると、コンコンとドアをノックされた。
返事をすると、間をおかずカロルが入って来た。

「フレン、大丈夫?」
「あぁ。大丈夫だよ、カロル」

ゆっくりと体を起こし、カロルと向き合う。
するとカロルは嬉しそうに笑い、僕に走り寄って来た。

「良かった…。僕、びっくりしたんだよ。レイヴンが血まみれのフレンを連れてきた時」
「………色々と、ごめん。カロル…。昨日も」
「うぅん。…驚いたけど、いいんだ。フレンがユーリの事がそれだけ心配なんだって、分かったから」

ガタゴトと椅子を持ってベット脇に来るとそれに座った。
相変わらず、身長が足りなくて足が床につかないのか、真っ直ぐ足を伸ばしている。

「…ありがとう。…けど、そうか。レイヴンさんが助けてくれたのか」
「そうなんだ。僕達が兎に角日の当たる所に出て、攫われた女の人達をバウルに任せて戻ろうとしたら、レイヴンがひょっと出て来てさ」
「ひょっとって…」
「だってそうとしか言いようが無いんだよ。元々、ここの調査してたのかな?脇道から行き成り顔出してさ。それで事情を説明すると、おっさんが行ってくるから、少年たちは女性達の護衛してなさいって言ったらぴゅーってまたいなくなって、暫く待っても来ないから戻ろうとしたら、血まみれのフレン担いで戻って来たんだよ」
「……そうか」

……あの人も相変わらず神出鬼没だ。
レイヴンさんが僕だけを助けたと言う事は、そこにユーリの姿はなかったんだろう。
やはり、あの闇に捕らわれたままなのだ。

「それでね、フレン」
「?」
「怪我の調子、どう?」
「エステリーゼ様の治癒術のおかげで、腹部に受けた傷はほとんど完治しているんだ。ただ、…目が、ね」
「目?」
「あぁ」

ふと無意識に手が見えない左目に触れていた。
包帯の感触がする。

「…もしかして、見えないの?」
「あぁ。…エステリーゼ様が仰るには、傷は瞼にあって眼球には一切傷付いていないらしい。でも、包帯をとって目を開いても見えないんだ」
「えぇっ!?大丈夫なのっ!?」
「…平気だよ」

僕は微笑んだ。
カロルには言わなかったけれど、一つ気になる事がある。
エステリーゼ様が眼球に一切傷が無い、見えないのはおかしいと言われた時、ふと思った。
あの『闇』にやられた傷。
だから、きっとあの『闇』に何かがあったのだろう。

「じゃあ、動く分には問題ないの?」

カロルに問われ、はっと自分の思考から我に帰る。
動く事に問題は無い。
素直にそれを伝えると、カロルはじゃあと鞄から分厚い紙の束を取り出した。
…まさか、仕事か…?
この事件に関わって以来全く書類整理をしていなかった…。
自分の机の上に積み上げられているであろう書類の山を想像して、背中に冷や汗が落ちる気がした。

「これね、あの『闇』に関するデータをリタが纏めたものなんだ。女の人達から集めた情報も全部纏めてあるんだ。フレンが大丈夫そうなら渡せってレイヴンが」

カロルが僕の手にその紙の束を渡してくれた事に礼を言い、直ぐにその資料に目を通す。
女性達の情報は特に僕が知っている事と相違は無い。
しいて上げるとすれば、『暗闇に精神が狂わされる』って所だろうか。
ユーリが精神で負けるとは思えないが…。不安な事に変わりは無い。
そして、大きな情報が載っていたのがリタの情報だった。

「……『あの闇の正体は【始祖の隷長 ダークロン】の聖核が精霊になったもの』…?」
「…うん。僕達色々情報を探し回っていた時、エステルの周りに精霊が現れてね?教えてくれたんだ。ダークロンは元々、あの四大精霊達が精霊化する前に亡くなって聖核になってたんだって。その聖核が悪用されない様に守ってたのが始祖の隷長のグシオス、今のノームだね。だから僕達が精霊化した事を知らず、またこの世に生を受けてしまった」
「…成程。それで?」
「それで、僕達が女の人達を助けに行った時、精霊達が現れたでしょ?」
「あぁ、いたね」
「その時、それを説明したんだって。でもね、理解して貰えなかったんだって。ダークロンは静かに眠りにつきたかったんだって。ずっと戦争とかエアルとか、疲れたんだって」
「疲れた…か」
「精霊としての自分を認めないから、力が暴走して、ダークロンそのものが暴走を始めて。その憎しみは全て精霊化をしたユーリに向いたんだ。だからユーリに似た女性が攫われた」
「ん?ちょっと待ってくれ。順番がおかしい」
「そうだよね。だから、僕達もそれを精霊に聞いたんだけど。精霊はその行動は全て【無意識】だって言うんだ」

その無意識がどこに向いているのか。
多分、『ユーリが精霊化をしたと言う事が【無意識】に理解出来ている』って事なんだろう。
だから、既に精霊化してしまったダークロンが【無意識】にユーリの姿を追い求めて捕えようとした。
と、そう言う事か?
カロルの話を聞きながら手元の資料に目を通し続ける。
話を聞きながら、文を読み取る。
これはもう、今の地位について身に着いた余計な技術。
リタの資料を読み進めていると、見慣れない言葉が目に入った。

「…『始祖の隷長アルテミスの存在について』って言うのは?」
「あぁ、それ?それはね、リタが言うには、攫った女の人達が皆ユーリに似てるってだけしか共通点がなかったのかな?って。調べを進めて行ったらどうやら、ダークロンは暴走しやすい性格だったんだって。それを何時も止めていたアルテミスって始祖の隷長がいたんだって。だから、ダークロンはアルテミスを探していたんじゃないかって言うもう一つの見解ってリタが言ってた」

そうか。
少し解決の糸口が見えた気がした。
ダークロンが精霊化したのなら、もしかしたら、そのアルテミスも精霊化した可能性がある。
ならそのアルテミスを探せば、ダークロンの暴走も抑えられ、ユーリを助ける事が出来る。

「カロル…。僕は、ユーリを助けたい。だから、アルテミスを探しに行きたいんだっ。…頼む、協力してくれないか?」
「うんっ!!勿論だよっ!!レイヴンが言うには、明日謹慎令を解くってさ。だから、今日はゆっくり休んで、明日出発だよっ」
「…カロル、本当にありがとう…」

勢い良く椅子から飛び降りると、椅子をキチンと片付けカロルは元気よく走りじゃあねーと出て行ってしまった。
残された僕は、明日の為に体を休める。
ゆっくりと体を横にして、眼を閉じる。
すると閉じて見えない筈の左目に光を感じる。
なんでだろう?
さっき目を開いた時に光すら感じない闇だった。
なのに、どうして…?
目を開いて確かめてみる。
けれど、やはり闇だった。
右目を手で覆い、左手の瞼を開くが、見えるのはやはり黒く塗りつぶされた闇。
ゆっくりと左目を閉じると、光がやどる。
自分の体なのに意味が分からない。
左目だけに意識を集中すると、光ではなく…これは掌?
…しかも、少し赤黒い…。まるで血が乾燥してこびりついた様な…?
この手は…?この映像は一体…?
もっと良く見ようと思ってずっと見ていると、いきなり視界が揺れた。
まるでグルグルと回転させられているように、若干気分が悪くなる。
そして、止まった瞬間驚いた。

(ユーリ…?)

間違いなくこれはユーリの足だ。ユーリのブーツだ。
再び掌に視界が切り替わる。
もしかして、僕の視力がユーリの下にある?
だから、こうやってユーリの姿が見えるのだろうか?
だとしたら、ユーリの手についているのは僕の返り血だろう。
ユーリはまだ無事だ。
そして、僕は意識的に意識を眠りへと切り替えた。
無事を確認出来て、かなりホッとして直ぐに眠気が落ちて来る。


今は体を回復させよう…。




ユーリを助ける為に…。