硝子の壁





【8】



一面の闇。
と言うか、視界が全て闇。
フレンを助ける為、自分から闇に捕らわれた。
オレは、今闇の中にいる。
それだけしか理解できなかった。
闇に飲み込まれる瞬間、フレンが叫んでオレの名を呼んでくれていたのが、オレの瞼に張り付いて消えない。
あんな怪我をしてるっつーに、オレの心配して…。
…どう頑張っても、闇でそれしかないなら、座るか。
ココが何処だか分からない訳だし。
どっかりとそこに座り、剣を抱きこむ様に肩に立てかけると、静かに瞳を閉じた。
どっちにしても闇なんだから、いいだろ。
寧ろ目を閉じた方が楽だ。

『…………………』

気配がする。
あの【闇】の気配だ。
じっとこっちを見ている。
…なんか伺ってる?
とは言え、どう反応していい物か…?

「……なんだよ?何か、言いたいのか?」
『………………』

沈黙?
……違うな。
何か言っているんだろうけど、オレの分かる言語じゃねぇんだ。

「…悪ぃけど、何言ってるかさっぱり分かんねぇ」
『…………ァ……』

言うと、一瞬怯んだ気配を見せ、暫くすると足音が聞こえた。

『…これなら、分かるか?』

この声っ!?
慌てて閉じた目を開くと、そこにはいる筈のないフレンの姿があった。
遜色ない、フレンそのものだ。
ただ違う所が一つだけある。
それはその闇の特徴でもあり、それだけでフレンではないと言い切れる。
フレンの真っ青な海の様な双碧が、目の前のフレンは赤く深紅の輝きを放っていた。

「…お前、趣味悪いな」
『そう?…お前が一番愛おしいと思っている存在になってみたんだが』
「い、愛おしいっ!?」

行き成り何を言うんだ、コイツは…。
言われ慣れない言葉で、でもフレンが言いそうな言葉だったから、急に顔に熱が集まる感じがした。

『…何を照れる?』
「お、お前が突然変な事言うからだろうがっ」
『変な事…?何かを愛す事が変?』
「…愛する事自体が変なんじゃねぇ。突然、愛って言葉を口にする事が変なんだ」
『……そうか』

沈黙。
オレとこの偽フレンは互いに視線を逸らす事はせず、相手の意図を探り合う。
すると突然、そいつは消えた。
一瞬幻かと思う位完璧に。
元々がこの『闇』だ。だったら一体化してもおかしくはない。
だが。

『…お前からは「アルテミス」の匂いがする』
「うわっ!?」

突然後ろから声がして振り返る。
それによって、オレの髪を興味深げに触っていた偽フレンが不満そうにオレを見た。

『…見た目が似ている訳ではない。でも、…何処か似ている』
「アルテミス?誰だ?それ?」
『私の対だ。……共に生き、共に死んだ…唯一の友であり、…愛おしい…相手』

懐かしそうにそいつは目を細めた。
何かを思い出しているのか。
オレにはそれは分からない。
けど、今こいつはフレンを模している所為か、フレンが悲しんでいるようで、少し胸が痛んだ。
だから、ふとコイツを理解しよう、と、立ち上がろうとした、その時。

「っ!?」
『……もう、アルテミスはいない。私だけが…生き返った』

突然そいつに押し倒された。
洞窟の地面に押しつけられた痛みは無い。
どうやら、闇がその痛みを防いだらしい。体は若干ふわふわと浮いている感じだ。
だが、目の前のこの状況を一体どうしていいものか。

『…何故、私だけ…』
「おいおい、ちょっと落ち着け」

何か雰囲気的にヤバい。
声がコイツに届いていない。
何とか今のこの状況を脱しようとするが、ここの闇全てがコイツの手足であり、そのもの。
例え目の前の偽フレンが抑えつけていないとは言え、周り全ての闇がオレの体を地面へと縫い付ける。

「…くっ、は、なせっ…」

全然手足が動かない。
偽フレンの手がオレの頬に触れ、そして…顔が近付いてきて…。

『…アルテミス…』
「んんっ!?」

唇が重ねられた。
…気持ち悪ぃ…。
見た目はフレンなのに、やっぱりフレンじゃない。
嫌悪しか出て来ないっ。
体が動かないなら、せめてとオレはそいつの唇を噛んだ。

『…っ!?』
「…行き成り何しやがんだ、てめぇ…」
『何故、拒む…アルテミス…』
「オレはアンタのアルテミスじゃあ、ねぇんだよっ」

一瞬怯んだ隙を狙って、何時の間にか横に転がっていた剣を握り、その闇を斬り付ける。
すると再び偽フレンの姿は消え、再び闇に抑えつけられない様に、直ぐに立ち上がり、周りを見回すと今度は少し離れた所に姿を現わした。

『……そうだ。…アルテミスはもういない…。だから』
「だから、オレだって?そんな代役ごめんだね。大体、アルテミスがいないって何で決めつけてんだよ」
『……何?』
「生きるも死ぬも一緒だったアンタが生き返ってるんだ。なんでアルテミスが生き返っている可能性を考えねぇ?」
『それは…』
「アンタは生前と同じ姿をしてるのか?」

偽フレンは静かに首を振った。

「だったら、そいつだって姿は違うかも知れねぇじゃねぇか」
『だが、気配をいくら探しても…』
「気配だって違うかも知れないだろ」
『……それは…』
「お前の気配だって違うかもしれない。そのアルテミスだってお前を探してるかもしれない。…いないって決めつけるのは早いんじゃねぇの?」

オレの言葉がそいつに届いたのか。闇が少し揺れている。
…なんとなくだが、コイツの正体。分かった気がする。
こいつは元々、始祖の隷長だったんだろう。
生き返ったと聞いてピンと来た。そして無意識にオレを狙って理由も。
きっと、コイツはかなりの昔に死んだ始祖の隷長だった。
だから、既に聖核となり、この奥深くに眠っていた。それをオレ達がした精霊化により知らぬ内に精霊となってしまった。
…そう言う事だったんだろう。

『そうかも、知れん。…けど、だとしたら私はどう探せば…』
「…落ち着けよ。ゆっくり探そうぜ。オレが付き合ってやる」

あわよくば、これで出られる。
なんて考えたのが悪かったのか、それとも思考が読めるのか分からないが。

『…私はお前を逃がすつもりはない』
「…あ、そう」

作戦としては失敗だったらしい。

「なら、フレンに頼むしかねぇな」
『……私が模しているこの人間か?』
「そう。そいつはオレと約束したからな。オレを助けに来るって」
『…アイツは私が刺した。生きている訳が無い。例え生きていたとしても、またこんな場所に命をかけて来るとも思えん』
「おいおい。失礼な事言うな。アイツはあの程度で死んだりしねぇよ。それに約束を違える奴でもねぇ」
『…………』
「オレを助けるには、アルテミスが必要。だったらフレンは必ずそいつを連れて来る」

絶対的な自信があった。
すると、偽フレンは自嘲気味に笑った。

『いいだろう。信じてやる。…ただし』

また瞬時に消え、来るだろうと思っていた自分の前にそいつは立つ。

『約束が達成されなかった時、お前は私のモノにする。アルテミスの代わりだ。…そして』

―――カラン。

「…?」

ぽいっと放り投げられたのは…ガラス玉?

『そいつも破壊する』

言っている意味が理解出来ずに首を傾げる。

『そいつはこの人間の『視力の塊』だ』
「…しりょくの、かたまり…?」

もう一度繰り返して、ハッとした。
一瞬言葉として理解出来なかったが、理解した瞬間それに走り出していた。
急いでそれを拾い上げる。
これは、フレンの『目』なのだ。
綺麗な青いガラス玉。
フレンの目…。
手の内で優しい光を放つそれに集中し過ぎて、側にあいつが近寄っている事に気付かなかった。
顎にその手が触れ、強制的に上向きにされると、再びその唇が触れる。
嫌で、堪らなくて、偽フレンの肩を叩き押し付けるが逆にその手を奪われ、舌が唇を割って侵入してくる。

「んっ!!んんぅっ!!」

抵抗したくて、必死に手に力を入れていると、オレの手からガラス玉が落ちた。
転がる音が聞こえても、拾いにいけない。
兎に角、逃げなければならなかった。
しかし、抵抗すればするほど、強く抱きしめられ、舌が絡められる。
もう一度唇を噛もうとしたが、やはり同じ手は二度も通用しなかった。
唇は解放され、その代わりに―――。

「なっ!?」

両肩から服が擦り下げられ、胸の間に手が置かれる。
そして―――。

「ッ!?」

一瞬の痛み。
視線を痛みがした方に向けると、そこには紫の文様が浮かんでいた。

『……これは、私の物である言う呪だ。…その硝子の壁を少しでも出た瞬間、お前は闇の一部となる。それを解呪出来るのは、アルテミスのみだ』

成程。…鎖って訳だ。
オレが睨みつけると、偽フレンは闇と共に消えて行った。
辺りの闇も完全に消え失せ、残ったのは、ただの洞窟と硝子の壁。
本来はここにも明かりが入るのか…。
ゆっくりと辺りを見回して、思い出す。
フレンの目を…。
急いでそれを拾い、手の内に握る。
フレンの目は、何故か泣きたくなる位、暖かかった…。

「……待ってる、から…。フレン」

オレはただ一人、そのガラス玉に呟いた…。