紫紺の羽
【1】
〜 出会い 〜
僕がそれを見つけたのは偶然だった。
フラフラと紫の光の塊が飛んで、大きな木の麓でポトリと落ちて消えた。
普通なら、気にしない。
目の錯覚だと思ったかもしれないけど、それが何か無性に気になった。
その光が消えた方へと走り寄り、その木の麓を覗きこむと…。
「これは…妖精、か?」
小さ過ぎて壊しそうだけど、慎重にそっと掌にのせると、その妖精は長い黒髪をした人形の様な整った顔をした黒い服の似合う…女の子なのだろうか…?
「…………うぅ……」
…どうやら違ったようだ。
低い声。男だ。
けど、どうしてこんなボロボロ…?
どうしようかと迷っていると、もともと曇っていた空からポツリポツリと雫が落ち始めた。
こんな状況で雨に濡れたら、風邪を引くどころか、下手したら死んでしまうかもしれない。
僕は慌ててポケットからハンカチを取り出し、そっと彼を包むと、そのまま街の中を抜け、自分の家まで走った。
ドアを破らん勢いで開けて、飛び込むと暖炉の前で眠っていた青い毛と目の傷が特徴的な僕の愛犬ラピードが飛び起きた。
「ラピード、済まないが、彼を暖めてやってくれ。僕は彼の寝床を用意するからっ」
そう言って、ラピードに彼を渡すと、彼は器用に自分の背中にのったそれを落とさない様に座って丸くなり、お腹の所に寝せた。
動物の体温はかなり高い。
これで雨に濡れたのはどうにかなるだろう。
まずは彼の寝場所と、食べる物とか…色々準備しなければ。
でも妖精って何を食べるんだ?
そもそも妖精を見た事自体初めてだし、そんなの御伽話でしか聞いた事が無かったから…。
とりあえず林檎とか果物かな。
あとは、籠とその中にふかふかした布を数枚詰めて…。
急いで彼の為にあれこれ揃える。
全て揃えたそれを机の上に置いて、ラピードに歩み寄ると、妖精の彼は調度良く目をパチリと開けた。
紫の瞳…。
綺麗だな…。
「…………こ、こは…?」
小さいけれど確かな声がして、はっと我に帰る。
一瞬彼に見惚れてしまった。
その思考を一瞬飛ばし、膝を折りラピードのお腹に包まれているその妖精に声をかける。
「大丈夫かい?」
「…あんた、誰だ?、それにここは…。オレ、確か木の力を少し分けて貰おうとして…」
「落ち着いて。名前、言えるかい?」
じっとこっちを見て、何かを探る様な瞳を見つめ返す。
すると、むくっと立ち上がると、僕と真っ直ぐ向き合う。
しかし見れば見るほど、綺麗な顔立ちだ。
妖精って皆こうなのかな…?
ちょっとドキドキする。
「……あんた、良い目してるな。…そうか。あんたが…」
「どうかしたのかい?」
「いや。何でもない。オレの名前はユーリだ。ユーリ・ローウェル」
「そうか。ユーリ。はじめまして。僕はフレンだ。フレン・シ―フォ。そして、そっちの彼が」
「わんっ!」
「ラピードだ」
一瞬鳴き声に驚いたユーリだったけれど、直ぐに、そうかと納得して笑った。
「とにかく、体は大丈夫?雨にも濡れたし寒かったらもう少しラピードのお腹で暖まると良いよ」
「あ、いや、大丈夫だ。それより、ちょっと状況が把握出来てねぇんだ。色々聞いてもいいか?」
「勿論。僕で答えられる事なら」
「助かる」
そう言って笑ったユーリの背にピンと張った透過がかった紫色羽が現れて、またしても目を奪われる。
凄い、光の加減で深い青にも見える…。
じっとその羽を見ていると、ユーリも僕の視線に気付いたのか、自分の羽に目をやり、眉をしかめた。
「……仕方ねぇ事だって分かってるけど、…やり切れねぇな」
「…ユーリ?」
ユーリはそのまま黙り込んでしまった。
ふよふよと宙に浮かびながら、腕を組んでじっと。
きっと何か辛い事があったんだろう…。
それは僕が触れていい事かどうか分からないから…。
取りあえず僕は立ちあがり、椅子を引いて座ると、机の上に用意しておいた林檎をナイフで皮をむいて行く。
「…ユーリ、とりあえず、こっちにおいでよ」
「………」
「何に君が悩んでいるか分からないけれど、そこでそうしていても変わらないだろう?」
「…確かに、そうだな」
机の上に飛び上がると、僕の真正面に向かい合う様にちょこんと座る。
「君たち妖精が何を食べるか知らないから、取りあえず、林檎を剥いたんだけど食べれるかい?」
「いや…オレ達は…」
「?」
口籠るユーリに、何て言って良いか分からず、取りあえず剥いた林檎を小さく小さくサイコロ型に切って、お皿に載せてユーリの前に差し出した。
ユーリは僕の顔と置かれた林檎。交互に見て、ふと何か考え込むとその小さな林檎に小さな手を伸ばし、持った。
うぅ〜ん…。これでもかなり小さく切ったのに、まだユーリの顔と同じ位の大きさはある。
今度からは微塵切りにした方がいいのかも…。
僕がした苦笑いをユーリは首を傾げながらも、その林檎に齧りつくと、ぱぁっと顔が明るくなった。
「えっ!?なにこれっ!?なんだこれっ!?マジ、うめぇっ!!」
なにってただの林檎…。とは口に出せる雰囲気ではなかった。
物凄く幸せそうにその林檎に齧りつく。
口いっぱいに林檎を含んで、咀嚼する姿は半端無く可愛い。
手に持っていた林檎を食べ終えると、はっと我に返ったのか僕の顔を見て、ユーリの顔が一瞬にして真っ赤になった。
「美味しかった?」
「お、おう…。サンキュな」
「どういたしまして。でも、まるで初めて食べたみたいな感じだったね。林檎食べた事無いの?」
「林檎ってーか、そもそも妖精は生き物を食べるって事をしねぇからな」
「え?そうなんだ?」
「あぁ。オレ達妖精は自然から発せられるマナを食べて生きてる」
「マナ?」
「おう。そうだな…例えるなら…『空気』みたいなもんだ」
「へぇ…」
本当に御伽話みたいな存在なんだな。
僕は自分用に寄せといた林檎を丸齧る。
皮をむいてもいいんだが、ちょっと面倒だ。
「ってかな。本当は果物とかも食べちゃいけねぇんだよ。オレ達は生き物を殺しちゃいけねぇから」
「へぇ、そうなんだ。って、今君食べたよね?林檎」
「…オレはいいんだ。もう、生き物を殺すなって言う掟を守る必要はない」
「…どういう事だい?」
「オレは、罪を犯して里を追い出された妖精なんだ」
ちょっと驚いた。
「だからマナの加護を受ける事がもう出来ねぇ。だから、今度からは自分で力を摂取しなきゃいけねぇんだ」
「そう、なんだ…。それは…」
何て言っていいのか分からなかった。
罪を犯した。
それは悪い事だったのかもしれない。
けれど、ユーリはその罪を後悔している様にも感じない。
だから、大変だったねと、言う事も何か違う気がして、言葉を見失ってしまう。
「……フレン。んなに気にすんな。オレは選んだんだ。今どんな結果になったとしても後悔はしてねぇ」
「そうか…。しかし妖精の世界での罪ってのは一体…?」
「オレ達の里での一番の禁忌は嘘をつく事だ」
「嘘を…?」
「そうだ。どんな小さな嘘でもついてしまったら、オレ達は死へと繋がってしまう」
嘘をつくって、そんな事で死に繋がる?
それは流石に…。
人はどんなに小さな事でも嘘をつく事がある。
勿論、事件とかに関わる様な大きい嘘もあれば、心から相手を想っての嘘もある…。
「…妖精は例え相手にとってそれが一番最善のものだとしても嘘を言う事は出来ないんだ。でも、オレは…」
そうか。
ユーリはきっと誰かの為に嘘をついて里を追い出されたんだろう。
だからきっと後悔もしていないんだ。
「…ユーリはもう里に帰れないの?」
「あぁ。追い出されたし、罪を犯した証拠にオレの羽は紫紺に染まってしまった。この状態で里に帰ったって…」
「そう。だったら僕と一緒にいればいいよ」
「…へ?」
「僕は君の罪がどんなものだったか分からないけど、君のその紫紺の羽は綺麗な物に見えるし、君は自分の欲の為に罪を犯す様な奴には見えないし、それに本来死んでいた筈の君が紫紺の羽になってまで生き残った意味もある筈だしね」
僕は素直に気持ちを伝えると、ユーリのそのアメジストの様な瞳が潤み、その頬に一筋の涙が零れ落ちた。
表情は勝気な顔のままなのに…ただ頬を伝うその雫が凄く綺麗で、そっと人差し指でユーリの頬を撫でる。
「やっぱり……お前が、オレの勇者だ…」
「ユーリ?」
「フレンの言う通りだ。オレには生き残ってやるべき事があるんだ。絶対。妖精は皆自分だけの勇者を見つける。オレにとってきっとそれはお前だったんだ…。フレン」
すりっと嬉しそうに頬を寄せるユーリにドクンと心臓が跳ねた気がした。
ちょ、ちょっと待て。僕。
落ち着くんだ。
彼は妖精だ。妖精でしかも男なんだ。
なのに、どうしてこんなバクバクと脈打ってるんだ。
……落ち着け、落ち着くんだ…。
「フレンが許してくれるなら、オレはここにいる」
「あぁ。…よろしく、ユーリ」
「オレこそ、よろしくな、フレン」
微笑むユーリの顔にバクバクと心臓の音が加速する。
……下手すると僕、このまま倒れるんじゃないだろうか…?
「……なぁ、フレン」
「えっ!?あ、なんだいっ!?」
「林檎…もう一個食べてもいいか?」
こっちの様子をうかがう様に聞くユーリにまた少しときめきながらも。
「勿論。好きなだけ食べると良い」
すると、またパァっと輝くユーリの顔に、また可愛くて…。
僕は静かに視線を逸らすと。
逸らした視線の先にいたラピードが呆れたように僕を見て「わふっ(バカか?)」と言った様な気がした。



