僕の手が届く距離。





【2】



ユーリがフレンの前から消え、数年の時が経った。
フレンはすっかり成長し、少年とは言えない姿になっていた。
あの後、フレンは母親に連れられ家へと帰ったのだが、意識が戻った時は既にユーリと共に過ごした下町にはおらず、しばらくフレンはユーリの事を思い出し泣いていた。
しかし母親の説得と数年の年月を経て少しずつ父親への怒りの所為か、少しずつ記憶の彼方へと封印していった。
そして、父親の辿った道とは違う騎士になると心で誓い、騎士団の門を叩いたその日。

――彼はいた。

呆然と立ち尽くす。

どうして、彼の事を忘れていたのか。
どうして、あんなに大事な彼の事を…。
どうして、ユーリの事を忘れていたんだろうっ。

閉じ込めた筈の記憶が蓋をこじ開ける様に溢れだし、そして後悔ばかりが頭を過る。
後悔しているのにしかし口から出るのは自分の思ってもいない捻くれた言葉ばかりで、『後悔している』…それを口に出す事が出来ずに、騎士になって初めての派遣場所、シゾンタニアでの日々が過ぎて行った。
そんな中、事件は起きた。
エアルの暴走。そしてそのエアルの合成体が街を襲いランバートを始め軍用犬二頭がその魔物にとりこまれ、ユーリがそれを止めた。
ランバート達の死と引き換えに。そんな時、書簡を帝都に届けていたフレンが帰還しまた一悶着が起こった。
殴り合った。
二人がこうして殴り合ったのは、何時ぶりだろう。
お互いの感情をぶつけ合ったのは…。
盛大に殴り合ったお陰で隊長の部屋に呼び出しをくらい、きっちり説教をくらい何とも言えない気分のまま二人は自室へと帰って来たのだった。
何も言わず、何も言えず。
この空間が耐え切れず、フレンはバスルームへと消えた。
しばらくして、頭が冷えたのかフレンは首元にタオルをかけたまま、口を開いた。

「…ごめん。ランバートの事、聞いた」
「…いや、オレも…。まさか、援軍を断られたなんてな…」

ベットに腰をかけフレンが謝るのを聞いて、ユーリが素直に口にする。
ユーリは明日隊長に付いて、湖の遺跡へ行くといい、フレンは増援を待つべきだと二人は再び衝突する。
話が互いに通じない。イライラがつのるのみ。ならばと、ユーリはベットを起き上がり、靴を履くと部屋を出ようとした。
けれど、その時腕を引き寄せられた。思いがけない強い力に引きよせられユーリはバランスを崩すがそれを支えたのは、自分を引きよせた腕だった。
その腕の主はユーリを後ろから抱き締めたまま、絞り出すような声で同じセリフを呟いた。

「僕達だって死んだら終わりだっ」
「…フレン…」
「何で、分からないっ!?僕は嫌だっ!!」
「おい…フレン?」
「嫌だよ…。ユーリ…。君が消えるのは、もう、嫌だ…」
「ッ!?」

ぎゅっと抱きしめる腕に力がこもった。
『君が消えるのは、もう、嫌だ…』
そんな事を言って貰えるとは思わなかった…。
フレンはユーリに突っかかってばかりで…でもそんな毎日も楽しくて、今が凄く嬉しくて…。なのに…。
ゆっくりと瞳を閉じたユーリの頬には一筋の涙が伝う。
泣いている事が悔しくて、でも嬉しくて…。それを誤魔化すように声を絞り出した。

「…フレン、な、んで…?」
「覚えてる。君との出会いも別れも全部…」
「…違う。そうじゃない。お前、オレの事忘れてただろ?」
「覚えてるよ」
「なんでだ…?確かに、『名前しか思い出せない』様にした筈なのに…」
「…ユーリ?それは、どう言う事だ?」

フレンの眼つきが変わる。今、確かに聞き捨てならない言葉が聞こえた。
やばいと察知したユーリは逃げようとするが、逃がす筈も無い。
抱き締めたユーリをそのまま自分の方を向くように返すと、そのままダンッとドアへと押しつけられる。

「―――っ!!」
「ユーリ」

そう言って名を呼ぶフレンの目は真剣だった。

「名前しか思い出せない様にとはどういう事だ?」
「……そのままの意味だよ」
「何故っ!?何で僕が君の事を忘れる必要があるんだっ!?」
「…泣いてるからだ」
「えっ!?」
「お前が泣いて、泣いて…死にそうになってたから。そこまで、オレの事を思ってくれてるんだって分かったから。だから、だ。誰も知らないオレの事をお前は思って泣いてくれた。だから…」

ずっと、ずっと見て来た。
フレンが壊れそうな位、ユーリを思って泣いてくれていた事。
ユーリはそれを知っていた。

「嬉しかったよ。お前が泣いてくれてるって思ってるだけでオレは救われた」
「…ユーリ」
「だからこそ、苦しかった。お前がどんどん壊れて行く姿を『見て居られなかった』。だから…『オレの存在を消した』んだ」

そこからフレンはみるみる回復していった。
ユーリはそれに心から安堵したのだ。フレンに笑顔が戻った事に…。

「ユーリ、…ユーリ…」

フレンが再び、今度はその温もりを確かめるように抱き締めた。
しかし、フレンはここで気付かなければならなかった…。
何故、ユーリはフレンの泣き壊れかかった事を知る事が出来たのかを。
何故、ユーリはフレンの記憶を操る事が出来たのかを。
何より、何故ユーリが生きてここにいるかと言う事を…。
けれどまたユーリとこうしている事が出来る喜びが全てに勝り、フレンはその疑問を浮かびあがらせる事はなかった…。

翌日、ナイレン・フェドロック部隊は湖の遺跡へと向かった。
そこで…隊長、ナイレン・フェドロックはエアルの浸食と遺跡の崩壊に伴い、部隊の仲間を助け命を落とした。
その隊長が命をおとした原因にフレンが気付き、二人で黒幕ガリスタを倒し全てに片がついた。その日の夜…。

「騎士団を辞めるっ!?」
「おー」

部屋に戻って体を休めている最中の爆弾発言にフレンは手に持っていたタオルを床に落とした。
しかし、ユーリはそんな事かけらも気にせず、軽く答える。
そんなユーリに呆れかえりながらも、フレンは話を促した。

「ユーリ、理由を聞いてもいいかい?」
「…単純な話だ。騎士団のやり方について行けなくなった。ただ、それだけだ」
「……そっか。隊長の言葉の意味を探してみるんだね」
「んな事言ってねぇだろうが」

とは言いつつも顔を赤くしていては説得力はゼロだ。

「…分かったよ。でも、これだけは言っておく」
「んー?」
「僕はね、ユーリ。君の事が好きだ」
「?、オレも好きだぜ?」
「大好きなんだ」
「だから、オレもだって、んっ!?」

ユーリをベットへと押し倒すとそっと唇を重ねた。
自分の気持ちを伝える為に。
まさか、自分が押し倒されるとは思わなかったのか、ユーリの動きが停止した。
きっと、思考まで停止しているのだろう。ユーリは目を見開いたまま、フレンにされるがままキスをされていた。
ただ、唇を重ねるだけのキス。
それでも、どうしてこうも満たされた気持ちになるのか…。
そっと腕をフレンの背に回しぎゅっと力を込めた。するとフレンは触れた時と同じようにゆっくりと唇を離すと、ふわりと微笑んだ。

「…ユーリ、忘れないで。僕は、ユーリの事が好きだ。誰よりも、何よりも…」

言われた言葉が胸に、心に染み渡る。
じんわりと心が暖かくなった。
でも、同時にユーリは凄く辛そうな表情をした。

「…ありがと、な。お前の気持ち、オレが今まで生きてきた中で言われたどんな言葉より嬉しいぜ。…でも、お前は忘れろ」
「ユーリ…?」
「お前はその気持ちを持ってちゃ駄目だ」
「何言ってる…?」
「オレはお前が言ってくれたその言葉、絶対に忘れない…。絶対に」

そう言ってユーリはフレンの頭を引きよせ、今度は自分から唇を重ねた。
唇を通して何か分からない暖かな物が口の中へ入って来たのをフレンは感じた。
それは口の中からほんわりと溶けるように体中に広がり、それは不意な眠気をもたらし急激に体から力が抜けて行く。

「…ユー、リ…?」
「嬉しかった。…オレを『思い出して』くれた事も。お前の中にオレの居場所をずっと作ってくれていた事も。お前が望んでくれるなら、そのままでいいとすら、思った。だけど、駄目だ。お前のその感情がまたお前を苦しめる。また壊れてしまう。それだけは、駄目だ。…だから忘れろ」
「な、にを……」
「ありがとな。フレン。……愛してるよ」

自分の上で力が抜けて行くフレンの頭をそっと撫でる。
最後まで負けまいと抗っていたフレンだったがユーリの愛してるの言葉と共に意識は途絶えた。
フレンが意識を失っていた時は数分。
たった数分だったけれど…ユーリは、フレンを抱きしめ続けた。
愛おしい存在をきつく、確かめるように…。
そして―――フレンが目を開いた…。

「うわぁっ!?な、なんだ、この状態はっ!?」
「あぁ?てめぇが寝ぼけて人の上に乗って来たんじゃねぇか」

フレンはユーリの言葉に目を真ん丸くして驚き、飛びのいた。
ベットに寝っ転がったまま、フレンをジロリと睨みつけると、真っ赤になって怒りを爆発させたフレンが大きく首を振った。

「う、嘘を言うなっ!?」
「んな事で嘘言ってどーすんだよ。しっかし、お前に男を襲う趣味があるとはなー」
「『ある訳ない』だろっ!」

―――ズキンッ。
『ある訳ない』と拒絶の言葉が胸を抉る。でも、ぐっと堪える。これは『自分』でした事だから…。

『僕は、ユーリの事が好きだ。誰よりも、何よりも…』

…充分だ。この言葉だけで…充分なんだ。
苦しいと、嫌だと、フレンと叫ぶ本心をユーリは深く深く心の奥底へと封印して…。
ユーリは何時もの様に皮肉めいた口調でフレンと夜の間ずっと話をした。

翌日、またフレンと再会する事を誓い、ユーリはシゾンタニアを後にした…。